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田中たかあきブログ

ノージャンルのブログです

前川元事務次官が出会い系バーに行くのはメリットがある

政治家や官僚が出会い系バーに行くメリット

前川さんが出会い系バーに行ってたことを批判してる人もいるようだが、実はいろいろメリットがある。

 

それは、色街の治安がよくなるのだ。

なぜなら、政府関係者が、いかがわしい場所に行くことによって、そのような、いかがわしい場所の安全が保たれるからだ。

政府関係者の目が、そのような場所に行き届くことによって、その場所の状況を確認でき、問題が起こったときも対処できる。

 

もし、政府関係者がそういう場所に一切行かなければ、いかがわしい地域でどんなことが起こっているのか、どんな状況なのか、どんな問題があるのか全くわからない。

しかし、前川さんのように、せっせと出会い系バーに行けば、肌感覚で現場を知ることができるのだ。

 

例えば、そういう場所に全く政府関係者が行かないために、街の実態がわからず、犯罪とか知らなかったら治安悪くなる。

難民や移民をどんどん受け入れちゃったりしたりしたら、それこそ治安が悪くなる。

 

だから、前川さんみたいに、政府関係者が出会い系バーとかそういう系の店に行くのって、社会にとってメリットがあるわけ。

 

社会のためには、地位の高い人は聖人君子じゃダメなんだよ。

いかがわしい場所に行かない政府関係者ばかりになれば、日本は悪くなる。

 

別に、前川さん自体はどうでもいいが、政治家や官僚がそういう場所に行くことがダメみたいな風潮が広まるのは、社会にとって損失だと言いたい。

 

そもそも、今回の文書の問題と、前川さんが出会い系バーに行くことって全く関係ないんだけど(笑)

菅官房長官何言ってんすかって感じ。

もちろん、問題をもみ消すためにどんな手段も使うっていうやり方はいいと思うし、そうすべきだとは思うが、もっとうまくもみ消さないとダメでしょ。

 

論点ズレてる。

文書の話をしてるのに、なんで一個人の出会い系バー通いの話を持ち出して人格攻撃してるんだよ(笑)

 

告発した人が聖人君子だろうがクズ野郎だろうが、そんなことは関係ない。

問題の本質を完全に無視している。

 

無理やりもみ消すならもっと他の方法でやらないとダメだ。

前川さん個人の人間性が悪かろうと、問題があることは変わらないんだよ。

 

加計学園の問題自体は、別に大した問題じゃないんだから、うまく誤魔化してもみ消しておけばいいんだよ。

全店禁煙とか価値観の押しつけやめてくれ

飲食店全店禁煙は価値観の押しつけ

飲食店を全店禁煙にする法律をつくろうとしてるみたいだが、禁煙の価値観を押しつけるのはやめてほしい。

自民党のおかげでなんとか全店禁煙は免れたからよかったけど。危なかったよ。

 

価値観は人それぞれ。タバコ嫌いな人もいるし、煙草吸いたい人もいる。

なんで一方的に全店禁煙にしようとするんだ。

 

禁煙の店がいい人は、禁煙に店にいけばいい。喫煙可の店に行かなければいいだけの話。

たばこを吸いたい人は禁煙の店ではなく喫煙できる飲食店に行くだけ。

 

たばこを吸わない客をたくさん集めて儲けたいなら、禁煙の店を経営して、禁煙の店にすればいい。

たばこを吸う客をターゲットにしたいなら、喫煙可の店にすればいい。

これで全て解決。何も問題ない。誰も困らない。

 

なのに、なんで無理やり全店禁煙にしようとするのか?

そんなことしたら、飲食店でたばこ吸いたい客たちはどうすりゃいいんだよ。

彼らが飲食店に行きにくくなって、全体的に利益は減ることになるだろう。

 

喫煙できる店も、禁煙の店も、どっちもあるのが最もベストであり利益も大きくなるんだ。

たばこの問題にかんしては、多様な価値観に対応できて選択の自由があるほうが、社会全体の利益は増えるんだ。

 

「外国ではタバコは規制されてるのに」と言う人いるけど、よそはよそ、うちはうちだ。

他の国がそうしてるからって、なんで日本までその真似をしないといけないのか。

 

「先進国ではタバコは規制されてるのに!日本は後進国だ」という人もいるが、先進国かどうかの基準は人それぞれ。

それはあくまであなたの基準にもとづく先進国だ。

 

別にたばこを規制されてなくても先進国であることはできる。

ていうか、たばこ規制されてなかったら後進国って笑

 

自民党の議員さんたちは、本当によくやってくださったよ。全店禁煙になる事態を避けることができたからね。

自民党の議員さんたち、ありがとうございます!

飲食店の全体的な利益が守られました。

 

ちなみに私自身はたばこを吸いません。

恋愛と同情の2つの違い

恋愛と同情の2つの違い

まず恋愛と同情の定義。

恋愛を、相手のことを好きになることと定義する。同情を、相手をかわいそうだと思うことと定義する。

 

この前提のもと、恋愛と同情には2つの違いがある。

 

1つめの違い。恋愛は、相手の価値を認め、相手が優れていることを認め、相手を肯定する。

たいして、同情は、相手が劣っていること、自分より下であることを認め、相手を見下す感情がある。

同情は、相手への軽蔑心であふれているのだ。

恋愛は、相手への憧れであふれているのである。

 

2つめの違い。恋愛は相手から突然予期せず、先に価値を受け取る。たいして同情は、相手から価値を受け取ることを計画しつつ、後から価値を受け取る。

ご利用は計画的にの精神である。

 

1.同情は軽蔑心、恋愛は肯定感

同情は、相手が優れているから生まれる感情ではない。なぜなら、かわいそうだから同情するのだから。

かわいそうとは、相手が劣っていること、価値がないこと、肯定されていないこと、否定されているから生まれる感情だ。

 

例えば、相手がモデルのように美人だったら、相手に「かわいそう」なんて思わない。

むしろ「ぎりり、あんなに美人だなんて悔しい・・・!」とか「きれいな人だなー。デートしたい」と思うだろう。

 

なぜなら、その美女が優れていること、価値あること、肯定される存在であること、強者であることを認めているからだ。

優れている価値ある存在を、同情することなどありえない。

 

逆に、ブスやブサイクに同情することはある。

なぜなら、その人が容姿という価値基準において、劣っていること、価値が少ないこと、否定されていることを認めているからだ。

相手が優れていないと思っているからだ。

相手に対する見下し、軽蔑心がある。だからこそ、「あの人はブスでかわいそうに」とと同情するのだ。

 

実は、無償の愛も同情に似ている。

無償の愛は、相手が劣った存在であること、価値がないこと、弱くて否定された存在であると思うからこそ生まれる感情である。

 

無償の愛は、軽蔑心であふれているのだ。

 

同情も無償の愛も、相手が劣った存在であること、肯定されていないこと、弱者であることを前提に生まれる感情である。

それにたいして、恋愛感情は、相手が優れていること、自分にとって価値あること、肯定された存在であること、強者であることが前提にある。

 

同情したり無償の愛を与えることができるということは、自分が相手より優れていることを意味する。相手が自分より劣った存在であることを意味する。

 

2.恋愛は先にもらう、同情はもらう計画をたてて後からもらう

恋愛は突発的に先にもらう

恋愛は、突然、予期せず相手から先に価値を与えてもらうことで生まれる感情だ。

相思相愛のためには自分の価値と相手の価値の等価交換が必要だが、恋愛では先に相手から価値を受け取る。

 

例えば、あなたが美人の女性を好きになる場合、あなたはすでに彼女から、見た目の美しさという価値を受け取っている。

突然現れた美女を見て、ハッとする。「か、かわいい。。。」一目ぼれである。突然の出来事。

美を鑑賞するという価値を提供してもらっているから、あなたは彼女に魅力を感じ、彼女を好きになったのだ。

もし彼女から何ももらっていなければ、あなたは相手を好きにはならないだろう。

 

優しい思いやりのある行為を相手に与えてもらえば、「あれっこの人優しい・・・いい人!好き!」となる。

 

それは突然やってくる。気づいたときにはすでに好きになっている。

 

婚活パーティーとかが上手くいきにくいのは、突然予期せず相手から価値を受け取ることがないからだ。

計画的に相手を選別しようとするから、恋愛感情も生まれにくいのだと思う。

恋愛には、突発性が必要なのだ。理性的に計画的に進めようとするのは、実は恋愛から最も遠い感情なのである。

 

相思相愛には等価交換が必要

ちなみに、そうして相手を好きなって、もし、相手が自分を好きになるようにさせるには、また自分から価値を提供しなければならない。

自分が相手にとって魅力的な価値を提供できれば、相手からも価値を受け取ることができる。

 

相思相愛になるためには、等価交換が必要である。『鋼の錬金術師』の言うとおりだ。

 

 もし自分に何の魅力もなく、相手が望む価値を何も提供できないならば、相手から自分を好きになってもらうことは難しい。

自分が何のとりえもないのに、自分だけ相手からもっと価値をもらおうとすると、相手は嫌がるだろう。

なぜならそれは、価値の交換ではなく、強奪だからだ。

 

同情は計画的かつ後から報酬をもらえる

それに対して同情は、あらかじめ価値をもらう計画をたてながら、相手から後から価値を受け取る行為である。

なぜなら、相手に同情することで、自尊心や自己肯定感が高まるだろうと予想しながら、その目標を達成するために相手に同情し、その結果、計画通りに報酬を受け取るからだ。

 

例えば、相手に同情し助けることで、自分はいい人だなとか、自分は優れているという肯定感などの価値を、受け取ることができる。

相手に同情した後に、価値を受け取ることができるのだ。恋愛と違って、価値を後から受け取るのが特徴だ。

 

あるいは、苦痛を消すという価値を受け取ることができる。

その相手がかわいそうで、見ているのが苦痛であり、相手に同情することによって、その苦痛を軽減したり消すことができるからだ。

 

相手に同情して助けたりすることによって、相手がかわいそうな状態ではなくなり、その姿を見ることによって、苦痛が消えるという価値を、後から相手から受け取ることができる。

 

このように、同情も、相手から価値を受け取る行為だ。

なぜなら、相手に同情することによって、相手から感謝されてうれしくなったら、自分の自尊心や自己肯定感が高まるからだ。

自分に対する報酬があるからこそ、人は同情するのだと思う。

 

例えば、同情は、「かわいそう」という理由で相手に価値を与える。

かわいそうな人を見てると自分が辛いから、その自分の辛さや痛みや苦痛を解消するために相手に同情するかもしれない。

 

相手に魅力を感じたから相手に価値を与えるわけではないが、相手から価値を後から受け取ることができる。

相手に価値を与えてもらったお返しではない。

 

まとめ

・恋愛感情は相手の優れた価値を認めるから生まれる肯定的な感情。

・同情は、相手が劣っていることを認め、軽蔑心であふれた感情。

・恋愛感情は、先に相手から価値を受け取る。

・同情は、価値を受け取ることを計画して、後から価値を受け取る。