田中たかあきブログ

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1つのものだけに執着し続けるのは難しい

執着する生き方は難しい

人は、何かに執着するが、たった1つのものだけを徹底的に執着し続けることは非常に難しい。

なぜなら、人は飽きるからだ。執着力が弱いのだ。

 

例えば、どんなに好きな人とでも、いつも一緒にいたら飽きる。

どんなに好きな食べ物でも、毎日朝昼夜の3食食べていたら、確実に飽きる。

好きな人ができても、振られて時間が立てば好きじゃなくなるし、自分の恋人にできないのなら、諦めて別の人を好きになる。

 

飽きるということは、執着する力が足りないのだ。

1つのものだけにこだわることができないということは、つまり、執着力が弱いのだ。

 

よく仏教では、「執着してはいけないよ」と言うが、実際は、人はあまり何かに執着していない。

一時的に、何かの対象に固執するが、ずーっとそれを維持することは困難である。

 

お腹が空いたら食べ物のことを考えるし、トイレに行きたくなったらトイレのことを考えて、さっきまで執着していたものは忘れる。

 

要するに、人は意外と執着できない生き物なのだ。

執着力が中途半端であり、鍛えられていないのだ。

 

「何かに捉われずに、自由な精神で生きよう!」と言うけれど、むしろ人は、何かにこだわり続けることができない。

すぐに別の対象に気が移りがちだ。

 

それゆえ、人は基本的に浮気性である。

1つのものに徹底的に執着し続けることは困難だ。

 

もし、あなたが何かに執着したいなら、かなり強い意志が必要かもしれない。

徹底的に、思いっきり執着し続けなければならない。

それだけ、1つのものだけに徹底的にこだわることは難しい。

 

欠如は執着力の燃料だ

人は欲望を満たされると飽きやすいから、欲望が満たされたら執着力が弱くなりがちである。

もしそうなら、欲望を一気に満たしすぎるのはよくないかもしれない。

欲望は、ちょっと満たされないくらいがちょうどよい。

 

自分の願望が少し満たされてないなー、という状態だと、その対象に未練を持ち続けることができ、執着力が持続する。

逆に、欲望を一気に満たしてしまうと、お腹一杯になって「もういらね」となる。

何かが欠けていること、それこそが、欲望の母であり、執着力の燃料だ。

 

例えば恋愛でも、恋人を自分に執着させるためには、相手の欲望を一気に満たしてはならないだろう。

ちょっと足りなくて不満が残るほうが、「次はこんなことをしたい」と相手は思うので、飽きられない。

 

結局のところ、持続すること自体が難しいのかもしれない。

努力であれ、感情であれ、持続することは困難だ。

ヘラクレイトスが言ったように、万物は流転する。

しかしそれでも、できるだけ持続させることによって、存在というものが可能になる。

 

何かが足りないという欠如感が、執着を生み出す燃料であるということは、存在しないものこそが、存在者の母なのかもしれない。

存在しないものによって、存在は生まれるのだ。

オススメの曲!神様、僕は気づいてしまった、というバンドの歌

神様、僕は気づいてしまったの『私の命を抉って見せて」が神曲

非常にかっこいい曲があり、何回も聴いてます。

曲名は、『私の命を抉って見せて』です。

この曲です↓

 

www.youtube.com

 

どうですか?超かっこよくないですか?笑

4人組のバンドで、グループ名は、神様、僕は気づいてしまった、です。

 

いや~、すごい、疾走感があって、サビの部分が非常にかっこいいです!

イントロも心地よい軽快なリズムで楽しい気分になります。

サビで一気にエネルギーが爆発する感じというか、一気にワァーッと盛り上がるところが好きです。

 

イントロの部分の、かすれた感じの声も超好きです。

ONE OK ROCKのボーカルみたいで、ハスキーボイスで超かっこいい!

ONE OK ROCK好きの人も好きになる人多いんじゃないかなあ。

 

サビの盛り上がり方がちょっとB'zみたいだなと思いました。

勢いがありますね、勢いが。そこが好きです。

 

あと、サビの部分のPVが好きですね。

ギターやドラムやボーカルの人たちの動きがなんかよい。

 

それにしても、とても高い声ですね!

ボーカルの人、最初は男の人かと思いましたが、こんな高い声は男の人が出せるとは思えませんね。

なので、おそらくボーカルは女の人なんじゃないかと思いますね。

いや、もしかしたらイントロの一部は他の男性メンバーが歌ってて、サビでボーカルの女性の人が歌ってるのかも。

なぜならイントロの一部の声が低くて男っぽいからです。

 

このバンド、とても変わってて、メンバーの自己紹介がほとんど無いんですよ!(笑)

顔も出てないし、謎に包まれてますね。

顔出ししないっていうと、GREENというグループもそうでしたが、それ以上に謎なバンドですね!

 

2016年にデビューしたいみたいです。

ライブがあるなら行ってみたいですね!

 

顔を見てみたいですが、残念ながら歌うときはあの訳のわからない覆面をかぶってるみたいですね!

でも歌いにくくないのかなあ・・・

前がよく見えないと思うんで、ドラムもギターも大変だと思うんですけどね笑

 

あと、この曲をぜひカラオケが歌ってみたいのですが、キーが高すぎて無理そうですね。

とても悔しい、残念です!笑

でも歌えなくてもいいからとりあえず一応歌ってみようと思います!

 

久しぶりに好きな曲ができました!

若者言葉は新しい観点を発見するイノベーションだ

若者言葉が軽薄だというのは趣味の違い

「ヤバい」を使うか、軽薄で汚い言葉かどうか、は人それぞれ

例えば、「ヤバい」と言う言葉は、軽薄だとか、語彙力が乏しい、貧しい日本語などと批判されることがある。

 

しかし、これは単に各人の趣味の違いにすぎない。

その理由は2つある。

第一に、軽薄かどうかの基準や、乏しい語彙力の定義は人によって違うからだ。

第二に、「軽薄な言葉や汚い言葉を使ってはいけない」という規範は、あくまで1つの価値観であり、そのルールを守って言葉を使うかどうかは人それぞれだからだ。

 

例えば、具体的な表現のことを、「豊かな表現」と定義して、具体的な表現を好む人は、「ヤバい」という言葉に対して、軽薄だと批判するだろう。

そして、「軽薄で汚い言葉は使うべきではない」という規範を持っているから、「ヤバいという言葉など使ってはいけない!もっと綺麗な言葉を使いなさい!とのたまう。

あるいは、「最近の若者の言葉は語彙が貧弱が汚い。美しい日本語を復活しなければ!」とのたまう。

 

他方、ヤバいと言う言葉を使う若者は、具体性の低い言葉に対して、嫌悪感などない。

具体性の乏しい言葉を、軽薄だとも思わないし、貧しい語彙力だとも思わない。

軽薄とか貧しい語彙、という定義や基準が違うのだ。

 

また、「軽薄で汚い言葉づかいをしてはならない」という規範も持っていない。

そんなルールなどに従って生きていないし、自分たちが好きな言葉を使うだけだ。

 

このように、「その言葉遣いは軽薄だ!もっと豊かで美しい言葉を使え!」という人と、その言葉を使う人の間には、価値観や趣味の違いがある。

この溝は、高確率で埋まらない。

 

「ヤバい」は抽象度の高い言葉

ヤバい、という言葉は、すごいとか、かわいい、おいしい、怖い、危ない、など、さまざまな言葉の共通点や本質を抜き出した、抽象度の高い概念なのだ。

抽象度を高めると、具体的な要素は減らして、共通点や本質を残す必要があるから、人によって、具体性が少なくて軽薄だ、と思えてしまうのだ。

 

つまり、「ヤバい」を嫌う人は、抽象度の低い言葉が好きなのだ。

具体的な表現が好きなのであり、抽象度の高い言葉が嫌いなのだ。

だから、「ヤバいという若者言葉は下品で軽薄で語彙が貧しい!」と批判するのだ。

 

他方、ヤバいという言葉を好む人は、抽象度の高い言葉を好むのだ。

具体性の高く抽象度の低い言葉よりも、具体性が少なく抽象度が高い語彙を好む。

 

抽象度の高い言葉を好む趣味を持っているのか、抽象度の低い語彙を好む趣味なのか。

その価値観の違いがあるだけだ。

 

だから、「ヤバいなんて汚い言葉使うな!もっと豊かな語彙を使え!」と命令するのは、自分の趣味を他人に押しつけているのだ。

「ピーマンはおいしいよ!体にいいんだよ!だから食べろ!」と他人に強要するのと同じである。

別にそれが絶対に悪いことだとは言えない、ただ価値観の強制ではある。

 

若者言葉は独自の意味のネットワークを持つイノベーション

ヤバいとか、神対応とか、炎上、などは、大げさな表現だと批判されることがあるが、これらの言葉は、今までの言葉とは違う、独自のネットワークを持つ言葉だ。

したがって、豊かな語彙と言ってもよいのだ。

そもそも、大げさな表現だって、豊かな表現の一部だろう。

 

独自の意味連関を持つ私的言語をもっと開発していけば、ますます語彙は増える。

若者言葉は批判されがちだが、それは異質なものだからだ。

人は、自分たちの価値観と違う異質なものを排除したくなるのだ。

 

しかし、新しい私的言語は、今までと違う独自の観点から、物事を意味づける色メガネ

である。

新しい言葉は、新しい見方であり、新しい意味を発見することである。

 

イノベーションは、人々から不審の目で見られがちである。

異質なものは、排除されがちだ。

イノベーションは、過去のものを否定して、それに代わる新しいものを提案することが多い。

何かを否定して、新しいものを生み出す過程を、弁証法と呼ぶ。

新しい言葉は、弁証法であり、らせん階段を上がるようなものだ。

 

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新しい私的言語は、その独自の意味連関によって、世界を新しい観点から見ることができる。

そして、一部の私的言語は、やがて公的な言語になっていくだろう。

 

若者言葉や新しい言葉は、イノベーションであり、新しいパースペクティブの発見である。

独自の意味ネットワークを持つ新しい言語、それが世界に対する斬新な展望を与えるのだ。

 

私的言語をどんどん開発し、新しい意味のネットワークを発見すれば、思ってもみない真理が浮き彫りになるかもしれない

今までの言葉によって隠蔽されていた、別の意味が存在するかもしれないのだ。

 

過去の言葉は、忘れ去られた観点を教えてくれる

逆に、過去に使われていた古い言葉を学ぶことで、現代に忘れ去られた観点を発見できる。

ラテン語や古典ギリシャ語などの古典語を学ぶ意義はそこにある。

 

温故知新というのは本当で、過去の語彙表現を学ぶことで、忘れ去れらた伝統が復活するのだ。

古い言葉を学ぶことによって、忘れ去られたパースペクティブを想起できる。

 

過去の言語表現によって、現代の言葉使いがイノベーションされることだってある。

むしろ、現代の流行り表現や流行の若者言葉が、実は過去の言語表現を復活させたものかもしれない。

若者言葉が、過去の伝統を復活させるのだ。

 

世界は百面相なのだ。

真理を知りたいなら、百面鏡で受け止めなければならない。