田中たかあきブログ

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『魔女の宅急便』における、ひとり立ち

魔女の宅急便における一人立ち

実家を出て一人暮らしする

角野栄子さんの童話『魔女の宅急便』は、宮崎駿の映画『魔女の宅急便』の原作です。

 

この原作が、非常に面白くて、私が好きな童話の1つです。

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 (※1)

 

この作品で強く描写されているテーマは、自立することです。

実家を出て、一人暮らしをして、仕事をすること、恋をすること。

新しい土地に住むことによって、「私」を発見することです。

 

故郷を離れて新しい場所に住むことによって、自分という存在を確認し、自我を確立し独り立ちしていく姿が描かれています。

 

主人公の少女キキは、魔女になるためのルールで、13歳になったとき、ひとり立ちします。

魔女界における一人立ちとは、自分の住んでいる家を離れて、魔女のいない町を探し、一人暮らしをすることです。

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(※2)

 

13歳で起業したキキ

キキは、新しい町のパン屋に暮らし始めますが、街について3日目にして、いきなり起業します。

彼女は魔法を使ってホウキに乗って飛ぶことができますから、運送屋をしようと考えます。

 

驚くことに、彼女は10日ほどで開店します。

パン屋のおソノさんなどの助けも借りながら、看板を作り、電話番号も準備します(ちなみに電話番号は1238181イチニサンハイハイ)。

 

13歳で起業をしようと決断し、わずか10日で事業を立ち上げるスピード感。

スタートアップの鏡ですね。

 

キキは、勇気があるというか、肝がすわっていますね。

 

「もうはじまっちゃんだから、心配したってしょうがないものね」

キキはそのたびに、ひとりごとのようにいいました。

「そうだよ。新しいことをはじめるときわくわくするっていってたのは、どこのどなたさんでしたっけ」※3

 

文章が抜群に面白い

『魔女宅急便』は、人物の心理や行動の描写が非常に面白いです。

言葉の選び方がとても好きです。

どこか滑稽で、フフッと笑ってしまうような描写です。

この点では、ドストエフスキーやトルストイと似ていますね。

 

見出しも面白いです。

例えば、これ。

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(※4)

 

それから、こういう見出しもあります。

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(※5)

 

配達を依頼されたラブレターを読む、紛失する、偽造する

私が好きな場面の1つが、人のラブレターを読む話です。

人の秘密をのぞくという話では、キキが、同い年の女の子から、男の子への誕生日プレゼントの配達を依頼されたとき、一緒に配達するよう頼まれたラブレターを、こっそり見てしまいます。

 

そしてラブレターをもとに戻してホウキに乗って配達しようとしたとき、草の根につまづいて、手紙を川に落としまいます。

しかも、キキは、イチョウの葉っぱに、ラブレターの内容を(自分の記憶にしたがって)書き写して、その葉っぱを配達先の男の子に届けます。

 

客のラブレターをこっそり読んで、川に落とし、自分の記憶を頼りに葉っぱにラブレターの内容を書き写して届ける。

なかなかの鬼畜っぷりです。

 

新しい故郷を見つける=自分を発見する

キキは、しばらくして故郷に帰りますが、すぐに前の町に戻っていきます。

故郷を出た後に彼女が住んだ町は、今や彼女の存在そのものです。

 

「ほら、あたしたちの町よ」

キキは指さしてさけびました。

※6

 

彼女は、新しい故郷、第二の故郷を作ったということかもしれません。

一人暮らしをし、仕事をして、恋をして、新しい場所に住むことによって、キキは自分の存在を確立し、「私」を発見しました。

 

それは同時に、親と離れて世帯を別にすることを意味します。

家族を離れ、自分の家族を作ることになるでしょう。

そしてそれがまた、彼女の存在をより一層確立させ、自分の存在を再発見することになるでしょう。

 

本当に大好きな作品ですね。

個人的には映画より原作のほうがかなり好きです。

 

※引用文献:角野栄子『魔女の宅急便』、福音館、1985年

ユミルは自分の大切な人のために生きて、自分のために生きた

ユミルの個人主義と愛

『進撃の巨人』の中でユミルは、クリスタのために生きることによって、自分のために生きたのだと私は理解している。

単に人のために生きるのではなく、自分にとって大切な人のために生きることで、同時に自分のためにも生きる、という生き方のモデルを示しているのが、ユミルだ。

 

このユミルの生き方は、キリスト教の「愛」の概念に少し似ている。

 

「人のためではなく、自分のために生きたい」とユミルは言う。

全体主義的な生き方よりも、個人主義的な生き方に、彼女は憧れている。

しかし、個人主義にも種類や程度の違いがある。

ユミルの個人主義は、愛する人と連動した個人主義である。

 

ユミルは、このままクリスタ=ヒストリアが壁の中にいては、ヒストリアが危険だと判断して、彼女を壁の外に連れ出そうとし、ライナーとベルトルトと一緒に行動する。

 

ユミルは、ヒストリアには「私は自分が助かりたいからお前を連れて行こうとしているんだ」と言う。

しかし、それは明らかに嘘である。

 

なぜなら、ユミルが本当に助かろうとするなら、顎の巨人は身軽で森の中で速いのだから、自分だけ逃げればいくらでも助かることができるからだ。

いざとなったら巨人たちがいる森の中に逃げれば、ライナーたちに殺されることはないだろう。

 

ライナーたちについていったら、顎の巨人の能力を奪われて、巨人化した他の人に食べられてしまうことは明らかである。

 

しかし、ユミルはライナーたちと一緒に行こうとする。

それは、明らかにヒストリアを助けるためだ。

 

一見、ユミルはまたしても人のために生きてるだけのように見える。

しかし、今までと違うのは、自分の大切な人のために生きているということだ。

ヒストリアに元気に生きていてもらうこと、それがユミルの欲望でもあるのだ。

 

それゆえ、ヒストリアを助けることは、ヒストリアのためであると同時に、ユミル自身のためでもあるのだ。

 

だから、ユミルは全体主義と個人主義をうまくバランスをとった生き方をしたとも言える。

 

ただ、ユミル様の役をやっていたころのユミルが、自分のためでなく人のためだけに生きていたわけでもないだろう。

実際ユミルの役を演じることによって、おいしい食べ物や綺麗な衣服を与えられたのだから。

 

でもまあ、細かいことはどうでもいい。

大切なことは、自分にとって大切な人のために生きることによって、自分のためにも生きる、という生き方を、ユミルが示していることが大切だ。

 

愛する者のために生きることが、自分を愛することでもある。

そのような愛の形を、ユミルの活動の中に見ることができる。

 

結局、ユミルはライナーたちの故郷に行って、巨人化した次の戦士候補の人に食べられている。

かわいそうだが、ヒストリアへの愛と信念の強さ、ゆずれない誇りを持った、かっこいい素晴らしい生き方だと思う。

嫌なことからは逃げるが勝ち

嫌なことは積極的に逃げる

私の考えでは、嫌なことからは積極的に逃げたほうが、楽しく生きることができる。

よく「逃げちゃいけない」と言う人がいて、もちろんそれも1つの価値観だ。

しかし、嫌なことを無理やりやって苦しい顔をして苦労して辛い思いをしても、作業の効率も下がりやすいし、楽しくない。

 

目の前に新幹線が走ってきたとき、すっと横によければ風しか来ない。

10メートルほど離れておけば、「最近の新幹線は立派だねえ」などと言う心のゆとりさえある。

それをガーン!とまともに新幹線を受け止めようとするから大怪我をする、というか死ぬ。

 

嫌なことからは逃げるのだ。

積極的に逃げる。

逃げるが勝ちである。

 

だいたい、「人生で逃げちゃいけない」と言ってる連中だって、今までの人生でさんざん逃げまくってきたのだ。

それを棚にあげて「人生逃げちゃいけないよ」と柔和な顔をしてしみじみと語る。

 

「ほーん、で、あんたは逃げなかったの?

そもそも、逃げては「いけない」という規範は、あなたの価値観にすぎないよね?

その規範にしたがう必要なんてないよ」

とでも思って無視しておけばいい。

 

嫌なことからは積極的に逃げる!

姑に会いたくないなら、会わなければいいのだ。

逃げて逃げて逃げまくろう。

逃げるプロになろう!