田中たかあきブログ

いつも読んでいただきありがとうございます

モテない女性は落としやすい理由

モテない女性は落としやすい

女性に手っ取り早くモテたいなら、モテない女性にターゲットをしぼるのが効率的です。

なぜなら、モテない女性は、恋や愛に飢えているからです。

 

どの男性からもモテない=自分を否定された感じ、の状態です。

自己否定感の塊で、自己肯定感が不十分な状態です。

 

いわば、食べ物を何日も食べていなくてお腹ペコペコな状態です。

空腹は最高のスパイスです。

飢餓感が半端ないので、優しくしてあげたり大切にしてあげると非常に喜んでくれます。

何日も断食していきなり食べ物を食べると胃が受けつけないのでは?という疑問はメンドクサイのでここでは考えないことにします。

 

自分はどの男にもモテない、愛されないという悲しい現実の中で、突如あなたが表れて、自分を大切にしてくれる。

そうなれば、その女性が恋に落ちるのは時間の問題です。

 

人は、自分を好きになってくれる人を好きになる傾向がありますが、モテないで飢えている女性の場合は、この傾向が強いです。

 

どの男性からもあまり好かれない女性ほど、「こんなに自分を大切にしてくれてる!」と嬉しがります。

「もうダメだ!」という危機一髪のところで助けてくれるヒーローみたいなものです。

間一髪とか、絶望的な状態で助けてもらうほうが、いっそう感激しますよね、それと同じです。追い詰められてる状態で現れると、一層ありがたみが大きいのです。

 

また、返報性の法則といって、人は相手から価値を与えてもらうとお返しをしたくなる傾向がありますが、飢えている女性はこの法則がよく機能します。

 

恋や愛に飢えている女性ほど、男性からのアプローチに弱いですから、狙い目なのです。

もちろん絶対とは言えませんが、非常に優位性があります。

 

自己否定感があり、自己肯定感が足りない女性を大切にすると、その女性は自分が肯定されたことを喜び、相手の男性に惹かれやすいです。

宮台真司さんが提唱する「絆」とは時間が作る愛だ

宮台真司さんが言う「絆」の意味

宮台真司さんって「恋愛しない男はクソだ」とか「ヘタレ男ばかりだ」とか人を見下して優越感にひたる感じが嫌いなんだけど、けっこう鋭いことや面白いことも言う。

 

宮台さんは絆をつくる恋愛を推しているいるが、絆とは、時間によって生まれる愛だと思う。

 

一目ぼれみたいにバアン!と突発的に生まれるものではない。

ジリジリと醸成されるものだ。ジリジリ進むものって実は強いのだ。

 

2人の関係が続いた期間の長さが付加価値となり、それが魅力となる。

長期間、2人の関係が続いているという持続性にたいして価値が生まれ、その価値を2人が愛するということだ。

 

だからまあ、相手のことが好きというよりは、相手とずっと長いこと関係が続いてるという性質を愛してると言ったほうが正確だね。

 

時間はお金では買えないし、後から手に入れることもできない。

他の人とも交換できない。

そう、2人の時間は他の人と入れ替えることができないのだ。

 

これが、宮台さんの決めゼリフの「交換不能性」である。

他の人と入れ替えられないので、付加価値が上がるのだ。

 

愛は、見た目の美しさや性格などのような、1人の人間の性質だけでなく、2人の関係性という性質にも生まれる。

 

絆の場合、愛する対象は、1人の人間の性質ではなく、2人の関係性であり、時間である。

それは、2人の歴史を愛するということだ。

 

誰かが、結婚すると2人の歴史が始まるなどと言ってるが、これはなかなな面白い視点だ。

 

1人の人生というだけでなく、2人の歴史が始まるのだ。

 

時間は、とても不思議なものだ。

時間がたつことで、当初はわからなかった意味が、浮き彫りになることがある。

愛の場合も、2人の時間がたつことで、当初は理解できなかった意味が発見されることがあるだろう。

 

意味の理解には長い迂回が必要であることが多い。

 

例えば、イエスの弟子ペテロも、イエスの「鳥が3回泣くまでの間に、お前は自分がイエスの弟子ではないと否認するだろう」という言葉をすぐに理解できなかった。

弟子たちが裏切って、長い迂回をへて、イエスが処刑された後に「まことに神の子であった」と後から遡及的に理解される

 

それゆえ絆は、長期の目線で見る必要がある。短期的な目線だけでは視野狭窄になってしまう。

上手なサーファーのように、遠くの波を見ているものだけが見える観点がある。

ソフトバンクの孫正義さんも次のように言っている。

 

「近くばかりを見ていては船酔いする」(孫正義)

 

長期の時間で大局を見る視点、それが2人の時間が生む愛であり、絆だろう。

 

格差社会は悪ではない理由

格差社会は悪ではない

経済格差や格差社会は悪だという風潮があるが、私はそうではないと思う。

なぜなら、格差のない平等な社会は、人々の競争意欲を無くして、やる気を失わせるからだ。

また、格差があるということは、人に価値を提供した分だけ、多くのお金をもらえるということだからだ。

 

例えば、共産主義は、全ての人間には同じ権利があると考え、格差のない平等な社会を目指した。働いた対価は誰もが同じにした。

すると、有能でお金を稼ぐ意欲のある人たちは、自分たちがいくらがんばっても報酬が変わらないことに不満を持つ。

「いくらがんばって働いてもお金はたくさん貰えない、だったらがんばって働いても意味ねーよ」となった。

 

その結果、働かない人と同じくらい働いとけばいいや、と考え、がんばって働く人がいなくなる。

自分だけ必死に働いたって損だ。できるだけ怠けよう、という気持ちになる。

 

なので、サービスの質は悪くなり、経済も停滞し、人々の労働意欲は下がる。

そして共産主義は敗北した。共産主義は上手くいかないことが証明されたのだ。

 

なのに最近になってまた、資本主義を悪と考える言説が増えてきている。

 

例えばトマ・ピケティの本では、富める者と貧しいものの格差が開くばかりであることがデータに基づいて説明されていて、経済格差が問題になっている。

 

だけど、この世の中に格差は必要なのである。

格差があるからこそ、人々は競争する意欲が生まれ、サービスの質をよくしようと努力する。

 

また、格差が生まれるということは、受け取る報酬に違いがあるということだ。

一生懸命働いて価値あるものを多く提供した人が、価値を提供しない人よりたくさんお金を稼ぐのは当たり前のことである。

 

努力しようと思えるのは、価値を提供した分だけお金をたくさんもらえるからだ。

不公平があるからこそ、人はがんばれる。

 

がんばらなくてももらえるお金が変わらないなら、怠けるのが人間である。

 

人に価値を与えれば、その分だけお金を稼げる。

この当たり前のことを否定して、お金をたくさん稼ぐ人を「金の亡者だ~」と悪口を言うのは単なる嫉妬であり妬みである。

 

格差があるのは当たり前なのだ。

「勝つことが全てだ。勝たなきゃゴミだ」(福本伸行『賭博黙示録カイジ』)

 

無能で人に価値を与えることができない人は、「お金持ちと同一の権利を」とか「格差のない社会を!」と叫ぶが、がんばって能力を持っている人からすると、「何も努力してない人と同じ報酬なんてバカバカしい」となる。

 

むしろ、格差社会のほうがよっぽどフェアだと思う。