田中たかあきブログ

いつも読んでいただきありがとうございます

善悪とは何か、と問うときの「3つの」落とし穴

田中です。

「~したほうが善い」とか「~することは悪い」という言い方を人はしますよね。

そもそも善悪とは何か、善とは何か、悪とは何か、という問いを考えることもあります。

しかし、「善悪とは何か」と問うとき、間違えやすい「3つの」落とし穴があります。

今日は、善悪について考えるとき陥りやすい落とし穴についてお話します。

 

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落とし穴1:「善悪」という言葉の意味は1つしかないと考えること

 1つめの落とし穴は、善悪という言葉の意味は1つしかないと考えること、です。

つまり、「善という言葉の意味は、1つの意味しかないんだ。正しい使い方は1つしかないんだ」と考えることが間違いなのです。

 

なぜなら、言葉の意味は、言葉(記号表現)を人がどのように使うか、によって決まるからです。

 

例えば、「あんぱん」という言葉は、使い方によっていろんな意味があります。

子供が母親に向かって、あんこの入ったパンを指さして、「あんぱんが欲しい」と言えば、「あんぱん」という言葉は、あんこの入ったパンを意味します。

 

しかし、15歳の少年が、袋に缶を持った男に向かってシンナーを指さしながら、

「あんぱんが欲しい」と言ってお金を払うときは、

「あんぱん」という言葉の意味は、シンナーを意味します。

 

「善悪」という言葉の意味はその人しだい

同じように、「善悪」という言葉の意味も、その使い方によって、いろんな意味を持つことができます。

 

例えば、「快楽」という意味で「善」という言葉を使ったり、

「名誉」という意味で「善」という言葉を使ったり、

「望ましい」という意味で「善」という言葉を使ったりできます。

 

落とし穴2:「本当の善悪」があると断定したくなる誘惑

2つめの落とし穴は、「本当の善悪」があると決めつけたくなること、です。

「これこそが本当の善だ」とか「本当の正義、本当の善があるはずだ」と決めつけたくなるのです。

 

しかし、「本当の善」という言い方は、非常に奇妙です。

なぜなら、「善悪」という言葉自体は、使い方によっていろんな意味になるからです。

それゆえ、そもそも「本当の」善があるはずだ、という前提自体がおかしいと私は考えます。

 

「本当の」という表現が、誤解を産む

私が思うに、多くの哲学者は、「本当の善」が存在することを前提にして議論をしがちです。善とは何かについて議論をするとき、「本当の善」というものが1つあって、それが何かを見つけようとしている人が多いのです。

 

例えば、プラトンは、「善そのもの」があるはずだと考えました。

いわゆる善のイデアというものです。

この発想は非常に興味深く重要な考えだとは思います。

 

しかし、「本当の」善が1つあるという前提を無批判に受け入れることはできません

言葉の意味は使い方によっていくつもあるのだから、「本当の」意味という発想は、間違っているのです。

 

 落とし穴3:「誰にとっても」善いと判断すること

3つめの落とし穴は、「誰にとっても」善いと判断すること、です。

これは善だ、と考えるとき、人はそれが「誰にとっても」善いものであり、普遍的に、絶対的に善いものなんだ、と考えてしまいがちです。

 

しかし、誰にとっても善いものかは分かりません。なぜなら、「善い」という言葉の意味は使い方によって変わるからです。

 

例えば、Aさんは善という言葉を「甘いもの」という意味で使いますから、Aさんはプリンとかケーキのような甘いものを、善いものだと考えます。

他方、Bさんは善という言葉を「辛さ」という意味で使いますから、Bさんはキムチとかタバスコがかかったピザを善いものだと考えます。

 

AさんがBさんにプリンをあげて、「善いものだろう?」と言っても、

Bさんにとってはそれは善いものではありません。

なぜならBさんは「辛いもの」という意味で「善い」という言葉を使うからです。

 

それゆえ、「誰にとってもこれは善いことなんだ」と考えると、自分の価値観を他人に押し付けてしまうかもしれません。

 

以上、善悪とは何かについて考えるときに陥りやすい、3つの落とし穴についてお話しました。

最後まで手紙を読んでもらってありがとうございました。

 

P.S. 

批判や反論など、コメントがありましたらぜひ書いてほしいです。

 

まとめ

善悪とは何か考えるとき、3つの落とし穴がある。

・落とし穴1:「善悪」という言葉の意味は1つしかないと考える。

・落とし穴2:「本当の」善悪があると考えたくなる。

・落とし穴3:「誰にとっても」善いもの、悪いもの、と考えたくなる。