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田中たかあきブログ

当たり前のことや基本をしっかりやることを大切にしてます。

2人と3人は大違いである理由

こんにちは、田中です。

 

一見、2人であろうが3人であろうが、人間関係の質は変わらないように思えます。

しかし、2人の人がいるときと、3人の人がいるときでは、人間関係の質が大きく違います。

 

なぜなら、3人になると、分離と結合が起きるからです。

つまり、3人のうち、2人が結合し、1人が分離する、という状態になるのです。

「わたしたち」と「あいつ」という2対1の関係が生じるのです。

 

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2人から3人になると生じる変化

例えば、結婚した夫婦がいるとします。

夫婦は、2人なので、2人だけの濃密な人間関係ができます。

 

しかし、もし子供が生まれて3人になったら、2人だけの濃密な関係は崩れます。

なぜなら、分離と結合が発生するからです。

母親と子供の絆、という2人の関係が結合し、父親が分離される、ということがあります。

誰かと誰かが接近し、もう1人が距離を置く、という状況になるのです。

 

例えば、母親が子供と仲良く楽しそうに話して、夫を邪険に扱う、ということがあるかもしれません。父親としては悲しいですね…。

このように、新しい3人の人間関係が生じるのです。

 

あるいは、友達同士の2人がいたとします。

2人のときは、2人だけの親密な人間関係です。

しかし、そこにもう1人加わると、3人の中で分離と結合が生じることがありますね。

2人がまとまって、もう1人が分離する、という2対1の関係になりえます。

すると、「わたしたち」と「あいつ」という2対1の関係が生まれます。

 

2人の意見と1人の意見が対立してけんかになったり、

1人が悩み事や相談があるときに、他の2人がきいてあげたり。

「わたしたち」と「あいつ」という関係です。

 

もちろん、3人が分離せず、1つにまとまる場合も考えられますが。

 

ドイツの社会学者である、ゲオルグ・ジンメルは、社会や集団を考えるためには、

2人の人間関係だけ見るのでは不十分だと言いました。

彼は、社会を考えるためには、3人以上の人間関係にも注目する必要がある、と言いました。

 

なぜなら、上で述べたように、3人になると、分離と結合が起こるため、人間関係の質がまったく変わってくるからです。

 

ジンメルは、人々のこうした分離の結合は、大都市などの日常生活にも存在すると言います。

なぜなら、大都市では、多くの人が互いに無関心であることことによって、特定の人と親密になることができるからです。

多くの人に無関心になることは、分離であり、特定の人と親密になるのが結合です。

 

というのも、大都市では、日常で出会う全ての人たちと親密な人間関係を保とうとすると、精神的な負担が大きいからです。全ての人と濃密な関係になろうとすると、精神的に疲れて、関係が悪化する可能性があります。

 

例えば、電車の中でたまたま隣に座った人とか、改札口で出会った人たち全員に、いちいち「おはよう!今日もいい天気だね」とニコッと笑顔で話すことは、大変疲れると思います。

あるいは、街中ですれ違う人全員に、「こんにちは、ごきげんいかがですか」と言っていたら、日が暮れてしまいます。

 

しかし、みんながお互いに一定の無関心(分離)を装うことによって、精神的なバランスをとることができます。それゆえ、誰かと親密になること(結合)ができます。

 

例えば、駅の改札口や電車の中でも、互いに黙ってあいさつをせず、無関心であることによって、精神的にリラックスできます。で、一緒にいる友達と楽しく話すことができます。

 

ジンメルによると、個人の自由が大都市で流行ることも、分離と結合のおかげであるそうです。

 

例えば、田舎と比較すると、東京では、個人主義というか、個人の自由がある雰囲気ですよね。

 田舎だと、人間関係が全体的に濃くて、すぐに噂が広まったりとかありますよね。

しかし、東京とかだと、そんなことはありません。

 

「あの人」と「私たち」という見方が生まれる

2人と3人のもう1つの違いは、「私たち」と「私たち以外」という見方が生じることです。

 

2人しかいないときは、1対1の関係なので、「私」と「私」の関係であり、個人と個人の関係ですよね。

しかし、3人になると、「あの人」と「私たち」という見方が生まれたり、「私」と「あの人たち」という見方が生まれます。

つまり、3人になると、個人と集団という関係が生じるのです。

 

その結果、内と外、という発想が生まれますよね。

「自分たち」という内側と、「自分たちとは違う何ものか」という外側、という区別が生まれます。

 

それゆえ、個人と集団とか、集団と個人という見方は、内と外という発想と、密接に関係していると考えることができます。

 

ジンメルは、3人の人間関係に対して、分離と結合があることを見出すことによって、

個人と社会の葛藤についての問題意識があったと思われます。

言い換えると、個人と集団です。

 

個人と集団の摩擦、個人と社会の摩擦、これは政治にものすごく関係することですよね。

個人と集団という区別があるからこそ、世の中はうまく機能します。

そして同時に、争いも生じます。

 

集団や社会と関わりながら、個人が個人であることに対する問題意識を、ジンメルは持っていました。

ジンメルはユダヤ人だったので、他の人たちから異邦人という立場だったからこそ、このような考察をしたのかもしれません。

 

まとめ

・2人から3人になると、違いが生じる。

・誰かと誰かが近づき、誰かが離れる(結合と分離)。

・「私」と「彼ら」、「私たち」と「私たち以外」という見方。

・個人と集団という見方が生まれる。

・内と外という見方が生じる。

 

参考文献:ゲオルグ・ジンメル『社会学―社会化の諸形式についての研究(上・下)』、白水社