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田中たかあきブログ

当たり前のことや基本をしっかりやることを大切にしてます。

古代ギリシアにおける「スポーツ」という概念

こんにちは、田中です。

 

「スポーツ」という概念や、「スポーツを見る」という概念は、古代と現代ではある変化をしています。

現代と古代で、いかに「スポーツ」という捉え方が違うかを考えるために、古代ギリシアのスポーツについて整理してみます。

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古代ギリシア人にとって、スポーツとは

1:宗教と関わるもの

2:社交的なもの

というものでした。

 

スポーツは宗教と関わった

第一に、祭りとか祭祀や宗教と関係している、ということです。

稲垣正浩の「「みるスポーツ」の歴史的変容」によれば、

西洋も東洋も、古代ではスポーツというのは神がどんな意志をもっているかを問いかけるための道具だったそうです。

 

古代ギリシャでは、ギリシャ人にとってスポーツは神聖なものでした。

というのも、今のオリンピックの起源である古代オリンピアという祭典競技は、ゼウスの神殿を中心とする聖域で行われたからです。

要は祭祀的な儀礼だったのですね。

 

ちなみにゼウスとは古代ギリシアの神様です。

オリンポス12神という神の中の1人です。

 そのように、ギリシャ人にとってスポーツは、神話的で神聖な神の領域でした。

 

例えば、オリンピアの祭典競技のスポーツに参加する選手たちは、ある宗教的なトレーニングをする義務がありました。

祭典にでる代表選手たちは、神官のような人の指導を受けながら、合宿をしました。

その合宿で、選手たちはゼウス神に祈ったりしました。

 

そうすることによって、ゼウス神の神殿の前でスポーツ競技をするのにふさわしい人になることができたのです。

つまり、ゼウス神に愛されるような人間になって、初めてスポーツ競技に参加できたのです。

かなり宗教的ですよね。

 

なぜ、選手がこんなにゼウス神に愛されるようにしたかというと、

スポーツ競技の勝敗は、ゼウスの意志によって決まる、と古代ギリシャ人は考えたからです。

 

その証拠に、オリンピアの祭典競技の初日には、選手たちや競技を見る観客全員が、

牛を先頭にして隊列を組み、ゼウス神の神殿の聖域を行進したそうです。

行進しながら、彼らは生贄の牛とともにゼウスに祈りをささげました。

 

で、生贄の牛の知をゼウスの祭壇に塗りたくって、祈った後に、牛を神と共に食べる、ということでした。

牛を神と一緒に食べて、神と一体になる、という儀礼が、スポーツ競技をする前に行われたのです。

 

さらに、選手たちは自分が出る競技の前日には、自分たちで個別に、ゼウスに牛を犠牲にささげました。

そしてゼウスにささげたその牛を、自分を支援してくれる人たちと一緒に食べました。

彼らはできるだけ立派な牛をゼウスに捧げて、神の力を与えられるように願いました。

いわば必勝祈願ですね。

 

なぜ彼らが、スポーツ競技の勝敗に対して、神の力を大事に考えたのか、というと、

ギリシア人は運(テュケー)を特別視していたからだと思います。

古代ギリシャ人は、神の力という不思議なもの、運(テュケー)を重要視していた。

 

ホメ―ロスの叙事詩である、『イーリアス』とか『オデュッセイア』を読むとわかるのですが、

ギリシャ人、例えばアテナイ人が他の民族と戦うとき、戦闘が互いに均衡し、決着がつかないときがあります。

そういうときに、突如ある瞬間に、片方の隊列がくずれ、形勢が一気に明確になり、勝負が決する、ということがあったのです。

 

なぜかは分からないが、均衡していた戦闘で、突如一方が崩れ、勝敗が決する。

この不思議な、理解できない現象を、ギリシャ人は、神が背中を押してくれたからだと考えました。

神が自分たちに味方をしてくれたから、神の力によってである、と考えたと思われます。

 

彼らには理解できない力、それが運(テュケー)です。

それゆえ、古代ギリシャ人は、戦闘でもスポーツでも、勝敗を決めるのは神の意志だと考えたのです。

したがって、神への祈りを大切にしたのだと思われます。

 

ちなみに、古代ギリシャの祭典競技では、優勝者だけが価値あるものでした。

つまり、1位だけがほめたたえられて、2位以下は無視されました。

それは彼らが、神に愛された存在として優勝者を捉え、最も神に近い人物として考えたからかもしれませんね。

 

2:スポーツは社交の場

古代ギリシャ人にとって、スポーツは社交の場です。

なぜなら、競技している姿を第三者から見られる必要があるからです。

 

単に競技者たちでスポーツをするのではなく、それを見守り、歓声をあげ、応援し、ほめたたえる観客が必要不可欠なのです。

見る観客と見られる競技者の相互交流、これが特徴的です

つまり、社交的な場です。

 

ステージの上に立つ歌手のように、誰かが注目され、歓声をあび、それを見てほめたたえる観客がいる。

この社交的な空間こそが、彼らにとっての楽しみだったと思われます。

 

 

参考文献:ホメ―ロス『イーリアス』、岩波書店

     ホメ―ロス『オデュッセイア』、岩波書店

     W.F.オット―『神話と宗教―古代ギリシャ宗教の精神』、辻村誠三訳、筑摩書房、1966年

     稲垣正浩「「みるスポーツ」の歴史的変容」、『体育の科学』、杏林書院、2015 Vol65