田中たかあきブログ

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善悪とは何か

善悪とは何か。

善悪とは、目的や欲望に対して適切であるかどうか、ということです。

なぜなら、「善悪」という言葉を人がどのように使うかによって決まるからです。

 

多くの人は、目的や欲望を基準に、善悪を判断します。

今回は、善悪の意味について書きます。

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善悪とは何か?という問いは、古代ギリシャの時代にソクラテスが考えて以来、多くの人たちが議論してきたことです。

善悪とは何か、という問いを立ててしまうと、何か「本当の」善が1つあって、それが何かを考える、というふうに考えてしまいます。

しかし、「本当の善」という表現は曖昧な表現です。

 

なぜなら、「善」 とか「悪」という記号表現は、どんな意味で使ってもいいからです。「善」とか「悪」という言葉の使い方は自由です。

 

それは、言葉はどんな意味で使ってもいいからです。

言葉はただの記号にすぎないのであり、どのように使うかによって、言葉の意味は決まります。言葉とは、中身のない箱のようなものです。言葉とは、変数です。

 

例えば、「善」という言葉をお店の名前として使ってもいいし、「悪」という言葉を、服のブランドの名前に使ってもいいわけです。

あるいは、「善」という言葉を勇気がある、という意味で使ってもいいし、「悪」という言葉を向こう見ず、という意味で使ってもいい。

 

「善」という箱の中に、どんなものを入れてもいいし、「悪」という箱の中に、どんなものを入れてもいい。箱の中にはいろんな値を入れることができます。

 

したがって、「本当の善」という言い方は、言葉の罠にハマっているのです。

1つの言葉に対して、それに対応する意味は1つしかない、という間違いをしてます。

 

その言葉がどんな使い方をされてるか

「善」「悪」という言葉は、どのような意味で使ってもいいことを前提にすると、

「善」と「悪」の言葉の意味を調べるためには、人々がその言葉をどのように使うかを知る必要があるとわかります。

 

つまり、「善」「悪」という言葉が、どのような使われ方をしていて、

どのような場面で、どのような状況で使われているのかを調べる必要があります。

 

それはどういうことかというと、「善」や「悪」という言葉が、どのようば場面で、どのような文章の中で使われると、その文は真になったり偽になったりするのか、を調べる、ということです。

 

例えば、アメリカに言ったら、ある人が目の前にいるネコを指さしながら、

「Look! Cat!」とあなたに言った場合を考えてみましょう。

その「Look! Cat!」の文が真になるのは、その指さした生き物がネコである場合であるならば、"Cat"という言葉はネコを意味してるのかな、と推測することができます。

 

つまり、「Look! Cat!」という文章が、適切な使い方をされた文章だとみなされるのは、"Cat"という言葉がネコという意味で使われる場合だろう、と推測できるのです。

 

もちろん、1回だけではわかりませんが、彼が何回も、「Look! Cat!」と発言し、そのたびに、目の前にネコがいるなら、その文章はネコが目の前にいるときに、適切な文章になる可能性が高くなってきます。

 

「善」「悪」は人の欲や目的によって決まる

同じように、「善」とか「悪」という言葉がどういう場面で、どういう使われ方をしていて、どういう文章だと適切な文だとみなされるか、を調べることによって、人々がどんな意味で「善」「悪」という言葉を使っているか推測することができるでしょう。

 

例えば、英語の試験に受かるために、英語の参考書を探している人がいたとしましょう。

その人が、「この英語の参考書はよい本だ」とか

「この英語の参考書はダメだね、悪い本だ」と言った場合、

その文章は、彼の欲望とか目的が基準になっていると推測できます。

 

なぜなら、彼は英語を勉強して、英語の知識を身につけ、英語の試験に受かりたいと考えているからです。

彼は、英語の試験に合格する、という目的を持っています。

それで本屋に言って、英語の参考書を見て、どれにしようか考えるのです。

 

そのとき、彼にとって、英語の本の良し悪しは、その英語の本が、彼の目的を達成するために適切であるかどうか、によって決まります。

 

例えば、英語の試験で出る問題の範囲をカヴァーできていないような参考書では、役に立たず、試験にも合格できませんから、その参考書は彼の目的にあっていないことになります。

 

このように、彼の目的にあっているかいないか、彼の欲望に適切であるかどうかによって、「善い」とか「悪い」という言葉が使われていると思われます。

 

例えば、「人を傷つけることは悪いことだ」、とか、「人に優しくすることは善いことだ」、という発言も、人間の欲望や目的によって決まると私は思います。

 

なぜなら、自分が他人から傷つけられたくない、という欲求・目的があるから、「他人を傷つけることは悪いことだ」と言う、と推測できるからです。

人から優しくされることを好み、そのような欲求を持つからこそ、「人に優しくすることは善いことだ」と発言している、と推測できるからです。

 

もちろん、正確な推測ではありません。

本当に調査しようと思ったら、適切な母数を準備して比較しながら調査しないといけません。

なので、ここでは大ざっぱな仮説です。

 

「善」悪」という言葉を人がどう使うか見ていると、私は、基本的に人々が使う「善悪」の基準は、本人が持つ目的や欲求だと言えると考えます。

つまり、その人がどんな欲求を持ち、どんな目的を持つかによって、何が善で何が悪かは変わってくる、ということです。

 

何を「善い」と判断するかは、その人の好み、価値観、欲望、目的によって変わる、ということです。

 

例えば、服が好きな人は、プレゼントは服であるほうがよいし、ウイスキーが好きな人は、プレゼントはウイスキーのほうがよいです。

健康になる、という目的を持つ人は、暴飲暴食をしないほうがよいし、学者になりたいなら論文を書いたほうがよい。

 

しかし、根底的な部分では、ある程度、人々の欲求は同じだから、この社会は秩序があってうまく回っています。

だから、それってすごくありがたいことだな、としみじみと思います。