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田中たかあきブログ

当たり前のことや基本をしっかりやることを大切にしてます。

絶対に疑えないものは何か

理性的な人なら誰も疑えないような、それほど確実な知識ってあるのか。

数学者のバートランド・ラッセルは、このように問いました。

そして、この問いは、一見するとあまり難しくなさそうですが、実は1番難しい問題なんだ、とラッセルは言っています。

 

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私たちが毎日目にしているものや、当たり前だと受け入れているものってたくさんあります。

しかし、改めてよく考えてみると、矛盾していたり、よくわからないようなことがあります。

 

ラッセルがいうには、私たちが何か確実なものを知ろうとするときは、私たちが実際に経験したり、体験したりしていることから考えてみることが自然であるそうです。

自分が目にしたり、触ったり、聞いたりしているものから、確実な知識を確立していく、ということですね。

 

例えば、私は今、パソコンでブログの記事をあなたに向けて書いています。

私は椅子に座って、キーボードをカタカタと打ち込みながら、画面に打ち込まれる文字を見ています。

ふと横を見ると、窓があって外が見えます。

傍には水筒や本があります。

 

私は、目の前にパソコンを見ていて、机に上にパソコンが存在していることを信じています。

他の誰かが部屋に入ってきたら、その人も私が見ているのと同じパソコンや机やイスを目にすることができると信じています。

 

「田中さん。何当たり前のことを言ってるんですか。」

 たしかにそうです。

目の前にあるものを、自分は見ていると信じること。

これは、あまりにも当たり前のことなので、こんなことをわざわざ疑うことは、通常はありません。

 

私は目の前のパソコンが、黒い色をしていることを信じています。

しかし、本当に私が見ているパソコンの色は、実際のパソコンの色と同じなのか、と問われると、ちょっとわからなくなります。

 

もちろん、常識的には、私が見ているパソコンの色は、実際のパソコンの色と同じであるはずです。

しかし、正確に考えると、どの角度から見るかとか、どの視点からパソコンを見るかで、光の反射の違いとかがあるので、自分が動けば、微妙にパソコンの色あいが変わることも私は知っています。

 

だから、もしそうなら、他の人が違うところから私のパソコンを見るなら、私と全く同じようにパソコンの色を見ることはできないはずです。

なぜなら、どんなにわずかであっても、パソコンを見る視点が変わると、明かりの反射の仕方が変わってしまい、パソコンの色の見え方が変わってしまうからです。

 

それでは、目の前にあるパソコンの本当の色とは何なのか。

私の知覚などとは独立した、本当のパソコンの実在があって、そのパソコンの本当の色は何なのか。

 

私がパソコンを見ているとき、私は本当にありのままのパソコンを見ることができているのか。

私の知覚とは独立して、パソコンの実在があって、その本当のパソコンの姿を知るには、どうすればいいのか。

 

見るとか聞くとか、匂うとか、触るとか、そういう自分の知覚とは独立した、本当の、ありのままのパソコンを知ろうとすると、とたんに難しくなります。

となると、私は目の前のパソコンを正確に見れていない。

 

それゆえ、自分が見ているものだけから、絶対に疑えないものを確立するのは、けっこう難しそうです。

私たちは物がどのようなものかを知りたい。

しかし、知覚とは独立した実在を知ろうとすると、途端に足がもつれる。

 

私たちは、物の実在について話します。

しかし、私たちの知覚から独立した実在を見ることはできません。

私たちが物を見るとき、その物は私たちの知覚というフィルターを通っています。

つまり、私たちの知覚を通して物を見ているので、実在そのものを見ているわけではありません。

 

もし、本当に目の前にパソコンが存在するとしても、それは私が見たり触ったりして直接経験できるパソコンと同じものではなく、見たり聞いたりできない、ということになるのでしょうか。

パソコンの実在は、決して直接には知られないものなのか、ということです。

 

それとも、私たちの知覚とは独立した実在とか物など存在しない、ということでしょうか。

私たちの見えとか、匂いとか、音とか触った感触とか、そうした感覚から独立した、「本当のもの」が存在する、という前提がおかしいのでしょうか。

 

ついには、次のような疑問さえ出てきます。

そもそも物質は存在するのか。

そして、物質の本質とは何か。