田中たかあきブログ

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憲法は誰が誰に命令しているのか

こんにちは、田中です。

 

今日の話は、「憲法は誰のために書かれたものか」という話。

結論から言うと、この問いに対する答えは、国家権力

憲法は、国家権力に対する命令です。

 

小室直樹によれば、憲法とは国民に向けて書かれたものではない

憲法は、国家権力すべてを縛るために書かれたものなんです。

憲法とは、国民から国家への命令です。

 

例えば、司法、行政、立法などの権力に対する命令が、憲法に書かれています。

 

怪物のようなパワーをもつ国家権力を縛るための最強の鎖が、憲法です。

なぜなら、国家権力は、警察や軍隊を動かすこともできる、恐ろしい力を持つから

 

それゆえ、憲法に違反できるのは国家だけです。

小室直樹によれば、日本ではこのことがまったく理解されていないという。

 

憲法に違反できるのは国家だけ

例えば、理屈をこねまわして親に反抗する子どもに向かって、「うるさい、黙りなよ」と親が叱った場合。

それにたいして生意気な子どもが「お父さんは言論の自由を侵してる。憲法違反だ!人権侵害だ!」と言ったとしますよね。

 

この場合、子どもが間違っています。

なぜなら、子どもの意見を聞かなくても、言論の自由とは関係ないから。

というのも、憲法とは国家権力に対する命令であり、個人に対する命令ではないから。

 

他の例を出すと、会社の会議で部下の意見を上司が言わせないようにしても、それは言論の自由を侵害してはいない。

上司は1人の国民であり、国家権力ではありませんから、憲法は関係ない。

 

あるいは、シールズのデモに対して、「デモに参加した人は就職で採用しない」と経営者が言っても、それは言論の自由を侵害してないし、憲法とは関係ない。

「思想によって不採用にすることは違憲だから、あってはならない」なんて言うのは全く意味不明。

 

このように、憲法とは国家を縛るための命令なんです。

 

たしかに憲法21条には、表現の自由が保障されています。

「第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」

 

このように、「表現の自由はこれを保障する」と書いてあります。

これは、誰が保障しているのか?

 

答えは、国家が保障している

国家権力が国民の言論の自由を侵してはいけない、というのが憲法21条の内容です。

 

したがって、言論の自由に違反できるのは国家だけです。

憲法第21条に違反できるのも、国家だけ。

 

だから、親が子どもを黙らせても、上司が部下の発言を封じても、デモに参加した人を就職で不採用にしても、言論の自由や憲法とは全く関係ない。

 

海外で傭兵になっても憲法違反ではない理由

もう1つ具体例を出すと。日本では、若者が海外に行ってその国の傭兵になる、ということありますよね。

すると、その若者を非難する人がいます。

「日本は憲法で、海外での武力行使を放棄してるんだ。だから、日本人が海外で傭兵になって銃を使うことは憲法違反だ」などと言って、若者を非難する人がいる。

 

しかし、小室直樹によれば、こうした非難は、まったく憲法を分かっていない証拠だという。

 

なぜなら、憲法は国家を対象にした命令だから、国民の行動は関係ないから。

だから、若者が海外で何をしても、憲法違反ではない。

 

 「十七条の憲法」は憲法ではない

小室直樹によれば、日本人はふだん憲法を読む機会があまりないから、なんとなく「いいことが書いてある法律」みたいな認識しかもってない人が多いという(本当かは知らないが)。

 

それどころか、学者の人でも、「日本には3つの憲法があった。聖徳太子の十七条の憲法と、明治憲法と、日本国憲法の3つだ」と書いてる人がいるくらいらしい。

 

小室によれば、十七条の憲法は、他の2つの憲法とはまったく違う

いちおう「憲法」という名前はついてるが、他の2つの憲法とは、月とスッポンくらい違う。

 

例えば、「和をもって貴しとなす」というのは、聖徳太子が当時の朝廷の役人たちに言い渡した訓戒みたいなものだろう、と小室は言っている。

だから、十七条の憲法には、国家権力を縛ろうという発想はどこにもないらしい。

 

それゆえ、大和朝廷の憲法を欧米流の憲法と比べるなんて言語道断だ、と彼は言う。

このことを、専門家まで間違えているそうだ。

 

前にも述べたように、近代法の根底には、「権力は恐ろしいパワーをもった怪物だから、とにかく縛りつけて、抑え込んでおかないととんでもないことになる」という思想が前提にある。

 

この思想によって生まれたのが、今日の憲法です。

国家権力の暴走を止める最後の鎖として、憲法は生まれた。

 

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国家権力は怪物(リヴァイアサン)だと考えたホッブズ

近代国家は、個人の安全を守ってくれる大切な存在です。

しかし同時に、近代国家はとにかく恐ろしい

 

イギリスのトマス・ホッブズは、近代国家を「リヴァイアサン」と呼んでます

リヴァイアサンとは、旧約聖書に出てくる怪物の名前です。

 

 例えば、旧約聖書の『ヨブ記』の中に、この怪物が書かれてます。

「口からは火炎が噴き出し火の粉が飛び散る。煮えたぎる鍋の勢いで鼻からは煙が吹き出る。喉は燃える炭火。口からは炎が吹き出る。首には猛威が宿り顔には威嚇がみなぎている。筋肉は幾重にも重なり合い・・・(以下略)」(『ヨブ記』)

 

「ひえっ」

怖いですよね。

このように、ゴジラみたいに怖くて、どんな武器も通用しない無敵の怪物がリヴァイアサンです。

 

そしてホッブズは、国家とはリヴァイアサンだと言った。

国家権力が自由に動きだしたら、それを止める方法はありません。

 

なぜなら近代国家には、軍隊や警察という暴力装置があるから。

国民から財産を奪うこともできます。

国家の命令で強制的に徴兵して戦争させることも可能(徴兵自体は大切なことですが)。

 

そう考えると、こんな怪物を野放しにするのは危険ですよね。

だから、近代西洋文明は、知恵を出してこの怪物をコントロールしようとした

 

その知恵の1つがデュー・プロセスの原則とか、罪刑法定主義なんです。

いろんな法によって国家権力をがんじがらめにしても、まだ不安が残る。

 

だから、さらに太い鎖で国家を縛ることにしたのです。

その太い鎖が、憲法です。

 

 したがって、憲法は国家を縛るためのものです。

ふつうの国民にむかって「平和を愛せ」とか「仲良くしろ」とか命令するものではない。

 

小室によれば、日本人の多くは国家のことを「お上」と呼ぶくらい、「国家は本来善である」と考えているが、ここに、大きな誤解があるらしい。

 

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