田中たかあきブログ

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中世ヨーロッパの国王は学級委員長みたいなものだった

こんにちは、田中です。

実は、民主主義と憲法は本質的に無関係かもしれないです。

 

「えっ?憲法は民主主義の基本だろ?」

私もそう思ってたのですが、小室直樹の『痛快!憲法学』によれば、それは誤解であるようです。

 

憲法と民主主義は、本質的に何の関係もない。

さらに、議会制度や多数決の制度も、民主主義とは本質的に何の関係もない

 

「デモクラシーって、選挙で選ばれた国民の代表者が議会で話しあって、多数決で法律や国の予算を決めることじゃないのかよ」

小室によれば、それは大きな間違いだそうです。

 

 そもそも、憲法や議会という制度は、デモクラシーの考えが生まれるよりずっと前から存在していた

議会や憲法は、決して民主主義のために作られた制度ではなく、別の目的のために作られたという。

 

加えて、議会や憲法の制度が生まれたのは、むしろ民主主義とはまったく反対の理由から作られました

しかし後になって、憲法や議会制度がデモクラシーの中に取り入れられたから、「民主主義=議会制度」、「民主主義=憲法」とイメージしてしまっているらしい。

 

 国王はいるけどアレがなかったヨーロッパ

それなら、憲法はどのような理由から作られたのか

 

憲法が生まれた理由をより簡単に理解するために、1つ確認しておくことがあります。

それは、国家ができたのは、あまり昔のことではない、ということです。

 

現代の私たちがイメージする国家(近代国家)の3つの特徴は、国境・国土・国民の3つです。

つまり、近代国家とは、国境によってハッキリ仕切られた国土があって、その中に住んでいる人たちを国民と呼ぶ。

 

このように、私たちがイメージしてる国家というのは、国境、国土、国民の3要素が本質です。

 

でも、「国境」とか「国土」、「国民」という概念が生まれたのは、古いことではないと小室は言います。

むしろ、これらの概念は最近できたと言ってもいい。

 

小室によれば、それ以前の時代には、国があっても国境がなく、国土もなかったし国民もいなかったらしい。

 

「日本は島国で海に囲まれてるから、国境や国土がない状態は創造しにくいなあ」

そうですよね、まして国民がいない国なんてさらに想像しにくいですよね。

 

でも憲法が初めて生まれた地であるヨーロッパでは、国境や国土という考えは、かなり長い間なかった、と小室は言います(私はこの点は疑問ですが)。

国民という概念もなかったらしい。

憲法やデモクラシーを理解するためには、これらのことを理解しておく必要があるそうです。

 

「だけど、国王はいたんだから、国はあったんでしょ?」

たしかに国はありました。

しかし、この時代の国は、今の国家とはかなり違っていたそうです。

 

中世の国王には、国土も国民も国境もなかった

小室は、中世のヨーロッパを例に出しています。

中世のヨーロッパには国王がいました。

 

「国王と聞くと、なんか絶対的な権力を持ってる人をイメージしますね」

しかし実際は、中世の国王は決して大きな権力を持ってなかった。

 

そもそも国王は、自分の王国すべてを支配しているわけではありませんでした。

実際は逆で、中世の国王は不自由な存在であり、自分の思いどおりにできることのほうが少なかったんです。

 

なんで中世の国王は不自由な存在だったのか?

 その理由は簡単に言うと、広いヨーロッパの国土には、封建領主たちがたくさんいたから。

王様は、領主たちのもめごとを仲裁する人だったんです。

詳しく言うと、次のような事情がありました。

 

古代のローマ帝国が崩壊したとき、ヨーロッパは分裂して、千分万裂の状態になった。

 

分裂したヨーロッパのそれぞれの土地では、限られた土地を支配する封建領主と呼ばれる権力者がいました。

封建領主たちの下では、農奴と呼ばれる人たちが、領主のために働いて土地を耕していました。

 

王様は領主たちを仲裁する学級委員長だった

このように、分裂したヨーロッパの土地には、封建領主たちが群雄割拠したのです。

 自分の土地と武力を持つ領主たちがたくさんいました。

 

しかし、こんなにたくさん封建領主たちが群雄割拠してたら、秩序が不安定になるんじゃないかと心配です。

さらに、領主たちの間でケンカになって争いになったら、誰も仲裁してくれる人がいない。

 

もし領主たちを仲裁してくれる人がいなかったら、すぐに暴力や実力行使で戦争になってしまいます。

その問題を解決するために、中世のヨーロッパには、やがて国王が生まれたのです。

 

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この時代の国王は、日本の戦国大名みたいに実力で他の領主を従わせたわけではない。

そうではなく、領地のことで領主たちが争ったときの仲裁役として国王が生まれた。

 

言い換えると、何人かの大領主たちの中で、1番勢力の強い人を国王にしておいて、その人が領主たち全体のまとめ役を引き受けた、ということです。

だから、この時代の国王を「同輩中の首席」と表現します。

学級委員長みたいなものです。

 

それゆえ、国王の権力は限られたものでした。

たくさんいる領主たちは、独立事業者みたいなかんじで、それぞれの領地の支配権は各領主が持っている

 

だから、それぞれの領地の中のことについて、国王は領主に口だしできませんでした。

そもそも、土地にくっついている農奴に対して、国王は何も命令できなかった。

 

したがって、国王が思いどおりにできたのは、国王自身が持ってる直轄の領地だけ

 

「なんか情けない王様だなあ。それでよく国がまとまるもんだ」

そこが、中世ヨーロッパのおもしろいところですね。

王様自身はあまり権力も実力もなかったけど、王と家来の間に契約があったから、国はちゃんとまとまっていたんです。

 

ところで、農奴という言葉が出てきたんですけど、これも誤解しやすい言葉です。

 

奴隷と農奴は何が違うか

「農奴って、農業をする奴隷ということでしょう?」

 

たしかに日本人から見たら、古代ギリシャやアメリカ南部の奴隷と、中世ヨーロッパの農奴は似たような存在に見える。

でも、決定的な違いがあるんです。

 

奴隷と農奴が決定的に違う点は、農奴は土地とセットになってる点です。

農奴は土地とセットになってるから、まだ奴隷よりもマシだったかもしれない。

 

なぜなら、奴隷の場合は牛や馬と同じように扱われていたから。

もし奴隷が子どもを作ったら、その奴隷の主人はその子どもを親から引き離して、自由に売ることができたらしいです。

 

他方、農奴の場合、農奴の家族をバラ売りすることはできない

なぜなら、農奴は土地を耕すことが主な仕事であり、もし子どもを売り払ったら次の代に農耕する人がいなくなるから。

 

だから、領主であっても、農奴の子どもを勝手に売ることはできなかった。

農奴には、そういう特権があったんです。

 

でも、その土地が別の領主の土地になってしまったら、その領主がどんなにひどい嫌な奴でも、農奴は文句を言えませんでした。

逃げ出すこともできない。

中世ヨーロッパを支えていたのは、農奴だったんです。

 

というわけで、奴隷と農奴の違いは、農奴は土地とセットであること。

特権がゼロだった奴隷に比べれば、まだ農奴のほうが特権があったのは確かです。

ちなみに、この小さな特権によって、やがて農奴たちは自由になっていくのです。

 

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