読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

田中たかあきブログ

当たり前のことや基本をしっかりやることを大切にしてます。

「契約」を重視した中世ヨーロッパの主従関係

こんにちは、田中です。

 

中世ヨーロッパでは、中世の王様にあまり実力や権力がなくて、王様は他の領主どうしを仲介する、学級委員長みたいな存在でした。

 

「王様に対して権力がないのに、よく国がまとまっていたね」

国がまとまっていた理由は、王と家来の間に契約があったかららしいです。

 

日本人の感覚では、主人と家来の「主従関係」は、家来が無条件で主君のために体と命を捧げるイメージがあるかもしれない。

 

しかし、小室直樹の『痛快!憲法学』によれば、ヨーロッパでは主従関係はそのようなものではないらしい。

ヨーロッパでは、主従の関係を結ぶとき、王と領主が契約を結びます。

契約を結ぶことが、主従関係の基本なのです。

 

f:id:puell:20160329163352j:plain

契約を重視する中世ヨーロッパ

「どういう契約を結ぶの?」

 

例えば、領主が持っている土地を、王が保護してやる代わりに、「もし戦争が起こったら、何人の家来を連れて領主がかけつける」という契約です。

または、「王が他の国の人質になったら、いくらの身代金を領主が払う」7という契約。

他には、「御姫様が結婚して嫁入りするときは、持参金の何割を領主が負担する」とか。

 

このように、王と領主の間で、約束をするのです。

 言い換えると、王様は、家来と契約した内容以外のことを、領主に命令することはできない

 

例えば、王様が他の国の人質になってしまったときに、相手国に対して、家来である領主が、契約で決められた金額の身代金を、払ったとしましょう。

もし、契約で決まっていた金額を払ったにもかかわらず、敵側が王様を解放してくれなかったら、どうなるか。

 

この場合、王様は家来である領主に「もっと身代金を払え」と言うことはできない。

なぜなら、契約していないことを要求することはできないから。

 

小室によれば、家来である領主も、「契約した金額以上の身代金を払う義務はない」と考え、さっさと王様を見捨てて、別の王様と契約を結ぶ。

その行為を誰も「不忠義だ」とは言わないのです。

 

 日本人の感覚では、家来は王様である「人間」に忠実であろうとする。

 

他方、中世ヨーロッパでは、家来は王様と結んだ「契約」に忠実である。

加えて、部下の契約を守る王様がよい君主であり、契約を守らない王様は悪い君主だと評価されます。

 

それゆえ、中世ヨーロッパの場合、主君と部下の間の評価基準は、契約を守るか守らないか、である。

 

 小室によれば、欧米のビジネスで契約が重視される理由は、ヨーロッパの契約重視の伝統があるかららしい(欧米でも人間関係はかなり重視されてると私は思うが)。

そして、契約という概念は、決して近代資本主義経済が生まれた後に誕生したものではない、と彼は言っている。

 

日本の武士に「武士道」はなかった?

「中世ヨーロッパでは王様と部下の契約を重視するなんて、ドライな関係だったんですね」

 

たしかに、ドライな感じがする。

 

しかし、必ずしも断言はできない。

というのも、ヨーロッパの騎士道と、日本の武士道を比べてみると、実際には、ヨーロッパの部下のほうが王様の敵討ちをたくさん行っていた、と小室直樹は言います。

だから、この点から考えると、人間関係を重視する日本人の家来ほうが、ずっと主人に冷たい、という結論になるかもしれない。

 

 「うそだ田中さん!忠臣蔵なんてまさに武士道精神じゃないか!」

 

たしかに、江戸時代に敵討ちの物語は多い。

でも、その99%は親の仇を討つ話です。

小室によれば、実は、武士が自分の主人の仇を討った話は、たった2つしかない

 

 1つめは、あなたが言った忠臣蔵

2つめは、信長の仇を討った秀吉です。

 

たった2つしか実例がないから、今でも忠臣蔵が美談なのです。

親の仇はうつけど、主人の仇を討たないのが日本人だと、小室は言っている。

日本の主従関係は、そういう感じの関係だった。

 

そもそも、戦国時代には「主人の仇」という概念がなかったらしい。

誰も、主人の仇をとろうとは思わない。

 

それどころか、主人を殺して敵の大将に「私を家来にしてほしい」と申し出る人たちもいた。

 

例えば、形勢が不利だとわかると、家臣が主人の首を切って、相手側に手みやげを持っていった(私自身は、戦国時代の家来たちが主人に対して冷たかったとは決して思わない。

仇は打たなくても、主君のために一生けん命働いたのだから、本当にすごいと思う)。

 

小室によれば、戦国時代に武士道はなかった

武士道ができるのは江戸時代になってかららしい。

また、武士道ができても、赤穂浪士以外は誰も主人の仇をとろうとしなかった。

 

そんな中、戦国時代に唯一、主人の仇を討った人が、豊臣秀吉だ。

彼は、本能寺で主人の信長が明智光秀にやられたと聞いて、すぐに京都に行った。

 

すぐに京都に行ったのは、秀吉だけで、他の家来は誰もそんなことしなかった。

それゆえ当時から、「秀吉は偉い」と言われたのです。

 

他方、中世ヨーロッパの場合は、もし契約の中に「王が討たれたなら必ず仇を討つ」という内容があれば、それを実行する義務があるので、彼らは契約を守る。

だから、契約に基づくヨーロッパの騎士道のほうが、確実ですっきりしているかもしれません。

 

 中世ヨーロッパの大きな特徴の1つが、契約なのです。

 

こちらの記事も読まれています↓

rougo.hatenablog.com