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田中たかあきブログ

当たり前のことや基本をしっかりやることを大切にしてます。

中世ヨーロッパの王様の意外な特徴

こんにちは、田中です。

 

小室直樹の『痛快!憲法学』によれば、2つのことを知ると、中世のヨーロッパを理解しやすくなるそうです。

 

1つは、中世ヨーロッパの王国には、国土も国民も国境もなかったことです。

2つめは、国王の力がとても制限されていたこと。

 

1.国境も国土も国民も存在しない

まず1つめの話から。

中世のヨーロッパでは、王様と家臣の関係は、契約によって結ばれています。

決して、人間関係によって王様と家臣の関係は成り立ってないです。

 

だから、例えば、1人の人が2人の王様の家来になることがあったんです。

 

一方、日本だと、武士が2人の主人の家来になることはないですよね。

 

でも中世ヨーロッパでは、9世紀のカロリング王朝の時代から、1人の領主が2人の王様の部下になることが普通にあったんです。

1人の人が2人の主人の部下になっても、別に非道徳なことではない、という文化があった。

 

なぜなら、領主は、いろんな王様から同時に別の土地をもらったからです。

 

例えば、領主が、フランスの王様からある土地をもらいました。

それと同時に、その領主がスペインの王様から別の土地をもらいました。

この場合、その領主は、フランス王の家来でもあるし、スペイン王の家来でもあります。

契約によって、彼はフランス王とスペイン王の両方の部下なんです。

 

加えて、その領主の持ってる土地の中で起きたことについて、フランス王もスペイン王も命令することはできません。

 

領主が持ってる土地の、どこからどこまでがフランスの土地で、どこからどこまでがスペインの土地なのか、ということを、誰も決めらなかったんです。

 

だから、当時のヨーロッパには、国境も国土もなかったようなものなんです。

 

フランス王の部下だけどフランスと戦争したイギリス王

実は、さらに複雑なことが起こっています。

その複雑なこととは、フランスとイギリスの関係です。

 

13世紀のとき、イギリス国王は、フランスの中で、最大の領主でした。

つまり、イギリス国王は、フランス国王からフランスの土地をもらっていました。

だから、契約によれば、イギリス国王はフランス国王の家来です。

 

なので、日本人から見ると、当時のイギリスはフランスの属国のように見えます。

でも、実はイギリスは、フランスの属国ではなかったんです。

 

なぜなら、イギリス国王は、王としてはフランス国王と対等だからです。

というのも、イギリス国王は、フランスの家来であると同時に、イギリスの国王でもあるから

だから、王としては、自分ととフランス国王は対等であり、フランス王の言うことなんて聞く必要ない、とイギリス国王が考えることができたそうです。

 

実際、当時のイギリスとフランスは、何回も戦争をしてます。

 イギリス国王は、フランス国王の部下でありながら、イギリス国王として、フランスと戦争をしていたのです。

 

それゆえ、中世ヨーロッパには、国境や国土という概念がなかったし、国民という概念もなかった、と小室直樹は言います。

 

なぜなら、王様の直轄地以外の農奴は、みんな領主の所有物であり、国王のものじゃないから。

王国が持っていたものは、国王と家臣の間の契約関係だけだった。

 

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2.権力を制限された、中間管理職のような国王

 中世ヨーロッパを理解しやすくなる2つめは、国王の権力がかなり制限されたたこと。

1)王様は、部下の土地に直接命令を出せなかった。

2)そして、王様は部下との契約によって縛られていたんです。

3)さらに、法が王様を縛っていたんです。

 

このことを示す、当時のヨーロッパのことわざに、「王は人の上に、法の下に」という言葉があります。

このことわざは、「王様は人々の中では上の身分だけど、法よりは下の存在だよ!」という意味ですが、これは「だから国王は偉い!」という単純な意味ではない。

 

実際の中世の王様は、人と法の板挟みによってがんじがらめになっていました。

この点で、中世の王様は中間管理職みたいなものだったんです。

 

第一に、いくら王様でも、家来たちが支配してる領地には命令できない。

王様が直接支配できるのは、王様の直轄地だけ。

 

第二に、王様は家臣との契約を守る義務があります。

だから、王様だからといって、家臣たちを思い通りに支配することはできなかった。

もし王様が、契約の内容以外のことを家臣に命令したら、家臣はいつでも契約をやめることができました。

 

例えば、他国と戦争したくて、兵隊をたくさん必要とする場合。

家臣たちが出してくれる兵力は、王と家臣の間の契約によって決まっています。

だから、もし王様が「もうちょっと兵隊を多く出してくれたら戦争で勝てるのに」と思っても、それを家臣に命令することはできません。

契約以外のことは命令できないからです。

 

第三に、法が、王様にとって障害になっていました。

法と言っても、この時代の法は、現代の法律とは違います。

中世の法とは、過去の時代から続いてきた伝統や慣習のことです。

 つまり、中世ヨーロッパの法とは慣習法だったのです。

 

伝統や慣習は、たとえ王様でも絶対に守らないといけないものでした。

だから、王様が伝統や慣習を破ることはできません。

 

また、王様が勝手に法律を作ることもできませんでした。

なぜなら、法とは過去からの伝統や慣習だけだからです。

 

中世ヨーロッパの伝統は、現代日本の伝統よりもけた違いのパワーがあったようです。

 

このような、中世のヨーロッパの人たちを支配した、過去の伝統を重視するという伝統主義を、大塚久雄は次のように定義してます。

 

「過去にあったことを、ただそれが過去にあったという理由で、それを将来に向かって自分たちの行動の基準にすること」(大塚久雄)

 

また、マックス・ウェーバーは中世の伝統主義を、「永遠の昨日」と呼んでます。

 要するに、昨日と同じことを、今日も明日もその次も永遠に繰り返すことです。

 

当時の中世ヨーロッパでは、過去に行われていたことが、それがただ過去にあったという理由だけで、認められた。

とにかく昨日と同じことをするのが正しかった。

 

それゆえ、「よい」伝統とか「悪い伝統という区別がされませんでした。

「よい」伝統と「悪い」伝統を区別しようすることを、小室直樹は合理的判断と呼んでいます。

 

そして、伝統主義と合理的判断は対極になるものだそうです。

 

 中世ヨーロッパでは、伝統は絶対守るべきものであり、よい伝統とか悪い伝統という区別はしませんでした。

伝統がよいか悪いかについて、人間が判断をしてはいけなかった。

 

だから、たとえ国王でも、慣習法を無視することは許されませんでした。

もし、合理的判断をして、役に立たない慣習法を無くそうとしたら、他の人たちから「暴君!」と罵倒されるかもしれない。

さらに、国王が法律を勝手に作ることも許されない。

 

このように、中世の王様は、家臣と伝統主義の間にはさまれて、がんじがらめになって動きがとれない状態でした。

 

でも、そんな中世を根底から揺り動かす、「ある」出来事が起こったことによって、国王の権力が変わっていくのです・・・。

 

参考文献:小室直樹『痛快!憲法学』、集英社、2001年

 

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