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田中たかあきブログ

当たり前のことや基本をしっかりやることを大切にしてます。

中世ヨーロッパの農奴を解放した3つの原因

こんにちは、田中です。

 

前の記事で話したように、中世ヨーロッパで土地をもった領主が、農奴たちを働かせてました。

 

しかし、小室直樹によれば、あるきっかけによって、中世社会は解体していきます。

 

そのきっかけが、農奴の人口の激減です。

 

ペストが封建領主を没落させた

特に、1348年あたりから始まった、ペスト(黒死病)によって人が減りました

 

例えば、イングランドでは、ペストの流行によって、人口の4分の1~3分の1の人が減ったと推定されています。

 

で、ペストで農奴の数が減ります。

農奴が減ると、農奴の立場が強くなったんです。

 

なぜなら、領主は農奴がいないと生活できないから

土地で農作物を作ってくれる農奴がいないと、領主の人は困ってしまいます。

 

だから、領主は、残り少なくなった農奴のご機嫌をとる必要が出てきた

希少価値が上がった農奴は、領主に対して立場が強くなってきたのです。

 

例えば、農奴は領主に対して、地代という、農作業に使っている土地の土地代(年貢みたいなもの)を払わないといけませんが、この負担が軽くなっていきました。

つまり、領主に払わないといけない土地代がどんどん安くなってきて、農奴の負担が軽くなってきた

 

その結果、農奴はだんだん豊かになってきたんです。

 

貨幣経済の発達が封建領主を追いつめた

加えて、「あるもの」が領主をさらに追い詰めました。

その「あるもの」とは、貨幣経済の発達です。

つまり、お金が使われるようになったことで、領主たちは立場が弱くなってきた

 

中世の経済の最初のころは、自給自足や物々交換が主におこなわれてました。

お金もありましたが、お金はほとんど使う必要がありませんでした。

 

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十字軍が貨幣経済の発達のきっかけになる

でも、そんなお金を必要としない経済を変えた、きっかけの1つがあります。

そのきっかけとは、十字軍です。

1096年に始まった、十字軍が、お金を使う社会に変えるきっかけの1つです。

 

十字軍は、キリスト教徒が聖地パレスチナを奪い返すことを目的に作ったものです。

そして彼らは、トルコに戦争をしかけました。

 

で、トルコに攻めていったキリスト教徒の人たちは、当時のイスラム文化のすごさを目撃しました

 

まず、当時の中近東は、世界貿易によって経済が元気でした。

 

さらに当時のイスラム文化は、世界の最先端の文化が発達していて、すごかったんです。

例えば、当時のイスラム文化は、古代ギリシャの学問を受け継いでいました。

当時のイスラム文化では、アリストテレスの論理学とか、医学、化学、天文学、数学、哲学などが発達していたんです。

 

とてつもなく文化が発達していたのですから、十字軍の人たちは驚いたことでしょう。

 

で、結局、十字軍は聖地を奪い返すことができずに、帰ってきました。

 

でも、十字軍の行動は、決して無駄なものではなかったのです。

なぜなら、世界最先端の文化であるイスラム文化から、たくさんのものを持ってかえってきた(あるいは逆輸入できた)からです。

 

例えば、陶器や織物、金属加工品など、どれもヨーロッパになかったものばかりです。

これら新技術が、イスラムからヨーロッパへと伝わってきました

 

そして、やがてヨーロッパに、新しい階級が生まれました

その階級とは、都市の商工業者です。

 

都市の商工業者たちは、封建領主が手を出せない場所に都市を作りました。

そしてその都市で、貿易をしました。

手工業品を作って、それをヨーロッパで売り歩きました。

 

その結果、今までよりもお金が使われるようになり、ますます貨幣経済が発達していきました

 

お金の力が農奴を救った

ペストで農奴が激減したことに加えて、貨幣経済の発達が、封建領主たちの立場を弱くしていきました。

 

なぜなら、封建領主は基本的に自給自足で生活してるので、商品を買いたくてもお金を持ってないからです。

また、封建領主はお金を手に入れる方法もありません

 

だから、領主たちの生活はどんどん苦しくなっていったんです。

そして、今まで農作業などの労働によって、農奴に地代を払わせていたやり方を変えて、生産物やお金で地代を払わせるようになりました

 

地代をお金で払うことになったことは、農奴たちにとって、うれしいことでした。

なぜなら、お金ならためることができるし、収穫物をより高く売れればより多くお金を得られるからです。

 

もし、労働や生産物(農作物)で地代を払うだけなら、「生産物の何割」というやり方で、農奴は地代をとられてしまいます。

これだと、江戸時代の農民と同じで、生活は苦しい。

 

でも、お金を使う貨幣経済なら、頭を使って知恵をだすことで、儲けることができる

例えば、収穫した物を、より高く売ることができれば、より多くのお金をゲットできます。

 

また、収穫物は腐るから貯めることができないけど、お金なら貯めることができます

 

そのため、農民がどんどんどんどん豊かになることができた

中には、貯めたお金を領主に渡して、農奴から自由農民になる人も出てきました

 他にも、豊かな生活を得るために、自由な都市に逃げ出す農奴も増えてきたんです。

 

ペストで農奴の数が減っているのに加えて、農奴の数がさらに減っていったら、人手不足になりますから、農奴の立場が領主より強くなります。

 

で、領主が農奴に甘い態度をとると、さらに農民の数が減って、さらに農奴の立場が強くなる。

さらに領主が農奴に甘い態度をとると、さらに農民の数が減る・・・。

 

こんな悪循環になって、中世の農村は解体していきました。

その結果、領主の力が激減していったのです。

 

ペスト、十字軍、お金、この3つが、農奴を解放し、自由にするきっかけとなったのです。

そして、そんな状態を見て、ある1人の人物が喜ぶことになるのです。。。

 

参考文献:小室直樹『痛快!憲法学』、集英社、2001年

 

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