田中たかあきブログ

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中世の教会が堕落していった理由

こんにちは、田中です。

 

商人たちからお金を出してもらったことで、自分の軍隊を持つことができた中世ヨーロッパの国王は、力を持つようになってきました。

 

でも、まだ領主たち(貴族)には切り札があったんです。

小室直樹によれば、その切り札とは、伝統主義です。

 

「王は国王軍の力によって、新しい秩序の社会を作ろうとしてるけど、それは慣習法を破るものだ!」と領主たちは主張したのです。

 

つまり、「王は勝手なことしないでよね、フン」というのが領主たち(貴族)の言い分。

貴族の特権や既得権益を守れ、ということです。

 

過去の慣習や伝統を無条件で正しいと考える伝統主義だった当時の中世ヨーロッパでは、王に「慣習法を守れ、勝手なことすんな」という領主の主張は、かなり説得力がありました。

 

また、国王の力が強くなってきたことに対して、領主たち(貴族)と同じように、不満を持ってた人たちが、僧侶たちです。

 

当時の教会は、とても広い領地を持ってました。

実際、教会の持ってる領地が王国の3分の1~3分の2くらいだった国もありました。

 

広大な領地を持つ教会の頂点に君臨していたのが、ローマ法王です。

 

 ローマ法王は、軍隊は持ってないけど、ヨーロッパ全域の精神的な権威として君臨していました。

つまり、ローマ法王はとても権力を持っていたんです。

 

でも、社会がお金をたくさん使う貨幣経済に変わってきたことによって、教会もちょっと苦しくなってきた。

 

だから、キリスト教の信者の人たちに、免罪符を売ってお金を集めました

 

ちなみに、免罪符を信者に売ることに怒ったのがルターですよね。

実は、宗教改革が始まる200年以上も前の1315年から、教会は信者に免罪符を売っていました

それと同時に、教会が信者に、聖職者の地位を売ること(売官)がありました

 

教会はどんどん堕落していってしまったらしいです。

その一方で、教会は、国王が力がつけていることにイラッとして、反感と危機感を感じるようになります。

 

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そして、だんだん社会の中で、グループがはっきり分かれてきました

 

例えば、それ以前の、中世のはじめの王国では、王と貴族(領主)の間の格差は、そんなになかった。

 でも、だんだん王と貴族の差がハッキリ分かれてきました。

 

また、商工業者という新しいグループも生まれました。

教会は既得権を主張してました。

 

だから、国王、貴族(領主)、商工業者、教会など、いろんなグループが明確に分かれてきました

違うグループが1つの国に集まってました。

 

この後、国王と商工業者VS貴族と教会のバトルがドンパチと行われるわけです。

しかし、その戦いは、戦場ではなく議会でした。

 

国王と商工業者の人たちと、貴族と教会の人たちの間の争いは、議会で行われることになります。

 

それはどういうことかと言うと、・・・

あっ、トイレに行きたくなったので、続きは次回にします。

 

参考文献:小室直樹『痛快!憲法学』、集英社、2001年

 

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