田中たかあきブログ

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中世ヨーロッパで議会が生まれた2つの理由、憲法の誕生

こんにちは、田中です。

 

ヨーロッパの最初の議会は、1265年にイギリスで開かれた議会です。

そして、このイギリスの議会が開かれた後に、各地の王国で議会が次々と開かれました。

 

例えば、フランスでは1302年に三部会という議会が開催されてます。

 

この時代の議会は、貴族(領主)、聖職者(僧侶)、平民の3つの身分のグループによってできていました

だから、三部会と言います。

 

小室直樹の『痛快!憲法学』によれば、こんな議会が開催されるようになった理由は、決して民主主義のためではないです。

また、みんなで意見を出しあってよい政治をしようという、前向きな理由でもなかった。

 

そもそも、中世ヨーロッパには「国民」という概念がなかったので、国民もいない。

だから、議会は国民の代表ではなかった。

 

議会があった理由は、2つあります。

1つめの理由は、王様の都合です。

2つめの理由は、税金をとられる貴族たちの都合です

 

理由1.王様にとって都合がいい

1つめの理由から説明しましょう。

 議会があった理由の1つは、王様にとって望ましいことだったから。

 

なぜなら、王様は「もっとお金欲しいなー」と思ったあからです。

たしかに、商工業者からもらうお金(盗賊など暴力から守ることでもらえるお金)や借金によって王様の権力は増えたけど、もっとお金があれば王様はもっとうれしい。

 

もっとお金を得るためには、まずは領主たちの土地に税金をかけちゃうのが手っ取り早いですよね。

いわゆる、租税を導入したのです。

 

でも、王様と家臣(領主)の関係は、契約によって決まってますから、領主の土地に税金をかけるためには、契約の内容を変更する必要があります

 

そして、大領主たちはたくさんいますから、1人ずつ個別に契約内容を変更してたら時間がかかり終わりません。

 

だから、議会を作ろうと王様は考えました。

 

王様の計画としては、まず領主(貴族)たちの代表を集めて、税金の問題について彼らに議論してもらいます。

そして、その議会でその領主たちに租税を認めさせることができたら、他の領主たち全員の合意もとれたと考えることもできるんじゃないか、と王様は考えたんです。

 

つまり、国王にとって議会を行うのは、民意を問うことよりもお金が欲しかったからだと言えます。

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理由2.貴族にとって都合がいい

2つめの理由は、貴族にとって望ましいことだったから。

貴族(領主)にとっては、王様は慣習法を破る危険な存在です。

なぜなら、王様は商工業者からもらったお金で軍隊を増強し、さらに自分たちの土地に税金をかけようとしてるからです。

 

もし、国王が好き勝手に慣習法を破ったら、自分たち貴族は、伝統的に持ってるいろんな特権がどんどん失われてしまう、と彼らは考えた。

 

それゆえ、王様に慣習法を再認識させ、自分たち貴族の特権を保障させないとアカン、と貴族たちは考えたのです。

 

王様が、好き勝手に法律をつくってはいけないし、勝手に税金をかけることも許さん、と彼らは考えた。

貴族は自分たちの既得権益を守らせるために、議会に乗り込んでいったんです。

 

 だから、王様にとっても貴族にとっても、議会は自分たちの利益や既得権益を守るための道具にすぎなかった。

しかしこの議会がやがて、民主主義の象徴みたいに思われるようになるのですが。。。

 

マグナ・カルタは反民主主義の憲法である

小室直樹によれば、中世ヨーロッパで王様と貴族が議会をやりはじめた流れで生まれたのが、憲法です。

 

ヨーロッパで最初に生まれた憲法は、1215年6月15日に公布された、イギリスのマグナ・カルタ(大憲章)であると考えられているそうです。

 

マグナ・カルタの目的は、国家権力を縛るための命令ではなく、慣習法の伝統を守り、貴族の今までの利益を守ること。

 

小室によれば、マグナ・カルタができたのは、当時のイギリス王のジョン王が、慣習法をたくさん無視したから。

というのも、ジョン王はフランスと戦争するために、貴族や教会にたくさん税金をかけたからです。

 

 ジョン王のこの行k動を見たイギリスの貴族たちは、「王はオレたちの既得権益と慣習法を侵害してる」」と考えて、激怒した。

だから、63条の契約を作って、その契約を守るように王に要求したんです。

 

それゆえ、マグナ・カルタの目的は伝統を守ることであり、自分たちの利益を守ることでした。

つまり、マグナ・カルタは、王はとにかく現状を変えてはいけない、慣習法を守り過去と同じようにしろ、というメッセージだったんです。

 

しかも、それは一部の特権階級の既得権益を守るためのものだった。

 

マグナ・カルタの中には、「自由民」という言葉が出てくるけど、この「自由民」とは「自由な市民」という意味ではない、と小室は言います。

なぜなら、この「自由民」とは貴族や裕福な商工業者などの、土地を持ってる特権階級のことであり、人口の9割くらいいた農奴は含まれていなかったからです。

 

マグナ・カルタの言う「自由」とは、特権のことです。

だから、マグナ・カルタは民主主義とは全く関係ないものだった、と小室は言います。

 

でも、マグナ・カルタがまったく無価値だったわけではないです。

 なぜなら、この歴史的契約が原点になって、イギリスで議会政治が発達するからです。

 

マグナ・カルタには2つの大原則が書かれてます。

1つめは、王様も法の下にあることです。

つまり、王様も法を守る義務があります。

2つめは、王が慣習法を破ったら、反乱を起こすことができること

 

この2つの大原則が、その後のイギリス憲法の柱になりました。

自由民の範囲も、一部の特権階級だけでなく、イギリス国民全部を含めるように変わっていきます。

 

また、国王のやることが法に基づくものかチェックするために作られた裁判所(パーラメント)が、後のイギリス議会になっていきます。

 

もちろんイギリスでも、最初の議会は王が税金をとるための道具でした。

でも、その議会はマグナ・カルタで認められた権利を使って、国王と対立するようになった。

 

そして、とうとう議会の力は国王の力より強くなっていくんです。

 

このように、民主主義とはまったく関係なく作られたマグナ・カルタが原点になって、イギリスの民主主義が生まれてくる。

 

孔子は、「小さな川を見ても、それが下流で大河になることは誰にも予想できない」と言ってますが、マグナ・カルタも同じです。

マグナ・カルタという非民主主義的な文書から、議会政治や民主主義が生まれるなんて誰も考えなかった。

 

でも、このマグナ・カルタこそが、近代デモクラシーの源流となったのです。

 

参考文献:小室直樹『痛快!憲法学』、集英社、2001年

 

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