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田中たかあきブログ

当たり前のことや基本をしっかりやることを大切にしてます。

絶対王権が生まれた理由

こんにちは、田中です。

 

中世ヨーロッパでは、2つの争いによって議会や憲法が作られました

その2つとは、王権をいっそう強くしようという王と、伝統主義(昔の慣習を大事にする価値観)によって王に対抗する領主(貴族)です。

 

でも、国王と貴族の争いから民主主義は生まれません

なぜなら、もし国王が勝てば、さらに国王の権力は強くなりますし、逆に貴族が勝てば、伝統主義が強くなるだけだからです。

民衆は全く関係ないですよね。

だから、王と貴族の争いは民主主義とは関係ない。

 

国王の時代がやってきた

ヨーロッパ史を見ると、その後ヨーロッパでは王様の力が強くなり、貴族の力は弱くなっていきました

 貴族たちがどんなに既得権益を守ろうとしても、お金(貨幣)がたくさん使われはじめ、お金中心の経済になった時代の流れは変えられません。

 

時代のトレンドが変わったのです。

土地中心の時代から、お金中心の時代へ。

農業中心の時代から、商工業中心の時代へ。

 

だから、貴族が弱くなる一方で、国王の権力は増大した。

その結果、あるものが生まれました。

それは絶対王権です。

 

最初に絶対王権が生まれたのがスペインです。

そして、最も完成した形の絶対王権が生まれたのが、フランスとイギリスです。

 

 例えば、フランスでは、1614年(ルイ13世の時代)になると、三部会(議会)が開かれなくなりました。

 

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 (画像引用:武論尊/原哲夫『北斗の拳』)

 

170年間、議会が存在しなくなったフランス

この後フランスでは、フランス革命で三部会が復活するまで、議会が存在しなくなりました。

つまり170年間、フランスは議会が行われなくなり、議会自体も存在しなかった。

 

その結果、もはや国王は貴族や僧侶たちの意見なんて聞かないで自由に権力を使ったのです。

例えば、ルイ14世なんて「朕(ちん)は国家なり」と言ったくらいです。

「私が国家なんだ」って言っちゃうくらい、王様の権力が絶大だった。

 

教会のトップに就任したイギリス国王

他方、イギリスは、議会はなんとか存在してましたが、貴族は没落して、国王の権力が強くなってました。

 

例えば、こんなエピソードがあります。

1533年に、ヘンリー8世は王妃キャサリンと離婚して、愛人のアン・ブーリンと再婚しようとしました。

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 (ヘンリー8世)

 

 しかし、ローマ法王は反対します。

なぜなら、神の前で誓った結婚を破棄することはできないからです。

 

そしたらヘンリー8世は、「あん?そんな融通のきかない教会は必要ない!」と考え、国王至上法という法を議会に承認させました。

その法が認められたことによって、国王である彼自身がイギリスのキリスト教会のトップになってしまったのです。

 

さらに、イギリスの修道院を解散させて、その修道院の財産を没収しました。

 

絶対王権のもとでは、あのローマ教会でさえ怖くない。

法王が「イギリス人はみんな地獄に落ちるであろう・・・」と脅かしても、国王は痛くもかゆくもない。

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(画像引用:高橋和希『遊戯王』)

 

かわいそうなアン・ブーリン

ちなみに、ヘンリー8世と再婚したアン・ブーリンはその後1人の女の子を産みます。

この女の子が後のエリザベス1世になります。

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 (アン・ブーリン)

 

しかし、ヘンリー8世は、自分の後継ぎとなる男の子を欲しがっていました。

なので、アン・ブーリンが女の子を産んだことに不満でした。

だから、だんだんヘンリー8世の気持ちはアン・ブーリンから離れていきます。

 

そして、彼はジェーン・シーモアという別の女性と仲良くなっていきます。

 

彼は、もはやアン・ブーリンが邪魔でした。

なので、ヘンリー8世は「自分とアン・ブーリンの結婚は無効だ」と言いだし、「アン・ブーリンが不倫をしている」と言いだします。

 そしてその後、ロンドン塔で彼はアン・ブーリンを処刑してしまったのです。

 

ひどい話ですが、そんなことが許されるほど、当時の国王は権力が絶大であり、自由にふるまえたんです。

 

そしてリヴァイアサンは生まれた

王の絶大な権力に対して理論的な根拠を与えたのが、思想家のジャン・ボダンです。

1576年に、彼は自分が書いた『国家に関する6章』という文章の中で、「主権」という概念を主張しました。

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 (思想家:ジャン・ボダン)

 

ボダンは、「主権」とは「国家が持つ、絶対的・永続的な権力だ」と主張しました。

つまり、国家権力は絶対であり、国家主権は他のものに縛られない、ということです。

 

例えば、教会が国家に何を命令しても、大貴族が国家に何を命令しても、国家はそれらの言うことを聞く必要はない。

国家は主権者である国王のものだから、国王が自由に国家を使える。

 

 中世の封建時代の王国であれば、国王は臣下である貴族(領主)との間の契約に縛られていたし、慣習法によっても縛られました。

だから、封建時代の国王は自由にふるまえなかった。

 

でも、ボダンの考えでは、主権者である王は絶対なので、何をしてもいい。

ボダンの考えは3つあります。

1つは立法権、2つめは課税権、3つめは徴兵権です。

 

ボダンの考え1つめ:立法権

ボダンの考えの1つめは、主権者は慣習法を無視でき、自分が欲する法律を自由に作り、他の人たちにその法を強制することができる、ということ。

つまり立法権です。

小室直樹によれば、立法権という考えは、ここから出てくる。

 

中世ヨーロッパの法は、発見するものであった、と小室は言います。

中世では、法は、条文に書かれていない目に見えない慣習でした。

法は文章にハッキリ書かれているわけではありません。

何か問題が起こったら、慣習の中にその解決法を発見するのが、中世のやり方でした。

 

しかし、絶対王権の時代には、法は作りだすものになった。

絶対王権の時代には、法は慣習ではありません。

法という概念は、自分で創造することができるものになりました。

 

例えば、主権者は伝統とは違う法律も制定できるし、慣習を含むすべての法律を廃止することだって可能だ、とボダンは言います。

 

ヘンリー8世が国王至上法をつくったのは、その1例ですね。

 

ボダンの考え2つめ:課税権

ボダンが考える2つめのことは、主権者は、国家に属してる人間に対して、自由に税金をかけることができる、ということです。

つまり、課税権です。

国家の主権者は、その国にいる人たちから自由に税金をとりたてていい、ということ。

 

そもそも国家の財産はすべて主権者のものであり、主権者が国の財産を自由に使っていい、とボダンは考えてます。

なぜなら、主権の力は絶対だから。

 

なので、国の主権者である国王が、人々の私有財産を奪ってもOK.

それゆえ、国王は好きなだけ人々から税金をとることができる。

 

ボダンの考え3つめ:徴兵権

ボダンが考える3つめのことは、主権者は人民の生命を自由に支配していいことです。

こう書くと、とても悪いことをしてるように思ってしまいますが、要するに徴兵権のことです。

 

中世の国王軍では、軍隊の規模が限定されてました。

なぜなら、中世の国王軍は、家臣である貴族たちが出してくれた兵隊によってできていたから。

 

でも、絶対王権の時代なら、そんな制限は一切なし!

国王は国の人たちに自由に「戦争行ってきて」と命令できるのです。

もし戦争で彼らが死んでも文句は言われません。

 

というわけで、ボダンの考えでは、主権者である王は、立法権、課税権、徴兵権を持っている、というわけです。

 

絶対王権の時代になって、王国は国家になりました。

ボダンが主張している「主権」という概念は、現代の政治理論にも生きてます

小室直樹によれば、絶対王権の時代に、近代国家の原型がつくられたのです。

 

こうして、絶対的な国家権力であるリヴァイアサンが生まれてきました。

理論と現実の両方で、国家権力はリヴァイアサンというモンスターになったのです。

 

しかし、そんな国家権力の敵が現れるのです・・・。

 

参考文献:小室直樹『痛快!憲法学』、集英社、2001年