田中たかあきブログ

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正義とは権力闘争と同じではないか

「私は正しい、あいつは間違っている」「私は善い人だ、あの人は悪い人だ」

多くの人は、何が善くて何が悪いかを判断しているし、何が正しくて何が正しくないかを考えている。

 

このとき人は、どちらが上で、どちらが下であるか、という判断もしている。

つまり、どちらが優れているか、どちらが劣っているか、という判断をしている。

なぜなら、正しいものや善いものは称賛されるのに対し、悪いことや正しくないことは避難されるから。

 

例えば、政治の世界では、どちらの国が悪いとか正しいとかいう。

人を騙すことや詐欺をすることは悪いことだと言われる。

人を騙してお金を稼ぐことは批判される。

結婚したほうがいいとか、結婚しないほうがいいとか言われる。

 

どちらが上で、どちらが下か、ということは、自分と相手のどちらが階級の上にいるか、ということである。

つまり、ステータスだ。

「私は上、あなたは下」

ステータスの競争だ。

 

私は別にそれが悪いといいたいわけじゃない。

私がこのことについて、善いとか悪いとか、正しいとか正しくないとか言ったら、その判断もまた、「どちらが上か」という階級闘争に参加していることになる。

 

客観的には、自分と相手のどちらが階級の上であるかを競うことは、よくも悪くもない。

ただ、そうであるだけだ。

 

ドイツ人のニーチェという人は、生きることは権力を欲することだと言った。

ある程度人生を生きてくると、たしかにその通りだなあとジワジワ思う。

 

人は、最終的には権力を欲して生きている気がする。

飢えや寒さや病気や苦痛のない

 

他方で、人が何かを善いとか正しいというときは、本人がそれを望んでいることが多い。

何かを善いとか正しいと判断するとき、人はそれを欲しているのであり、欲望するものが善いものだ、という関係になっている。

 

例えば、人を騙す商売は悪く、正直な商売が正しい、というとき、そういう人は、背実な商売が行われることを欲している。

なぜなら、自分が騙されるのは嫌だから。

自分にとって、人を騙さない商売がある社会のほうが望ましい。

 

TPPによって経済的に楽な生活ができる人にとっては、TPPは望ましいので、TPP

TPPによって経済的に不利になる人にとっては、TPPは望ましくないので、悪い政策となる。

 

また、敵か味方かという判断も、正しいとか善悪の判断に関係している。

 

だから、正しさや善悪の判断は、権力闘争と、欲望、敵味方の区別、の3つで構成されている。

階級的に、自分が上で、相手が下、というステータスの競争がある。

そして、自分が望むものや、欲するものを「善いもの」とか「正しいもの」と判断する傾向がある。

誰が敵で誰が仲間かを線引きする。

 

多くの人が使っている、善悪とか正義っていう概念は、たいてい、この2つの要素が基準になっている。

自分が上に立ち、相手が下になる、という階級闘争。

そして、何を欲するか、何を欲しないか、という欲望。

自分たちの身内か、動物みたいな仲間以外の者か。

 

それが、善悪とか正義、という概念をつくりだすと思うわけで。

誰にでも共通する善悪とか正義って存在しないわけだ。

 

なぜなら、何を欲するかは人によって違うし、生き物によって違うから。