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田中たかあきブログ

当たり前のことや基本をしっかりやることを大切にしてます。

アドラー心理学の内容

アドラー心理学 

世界のとらえ方を自分が変えれば、世界のあり方も変わる、というのが、アドラーの思想の要点である。

 

そのとらえ方の基準の1つが、目的だ。

目的が変われば、世界も違って見える、というのがアドラー思想のおもしろいところ。

どちらかというと、観念論的な傾向が強い。

目的という基準を使った観念論だ。

 

例えば、「人から嫌われたくない」という目的をもっている人は、人の期待にこたえることが基準になり、他人の欲望のために生きるようになる。

「人に嫌われてもいいから楽しく生きる」という目的を持っている人は、人の期待ではなく自分の欲望のために生きるようになる。

 

「人から認められたい」という目的(承認欲求)を持つ人は、他人の期待にこたえようとしてしまい、自分を苦しめてしまう。

 

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アドラーの考えによれば、世界は実際はシンプルなのに、私たちが世界を複雑なように見てしまうから、まるで世界が実際に複雑であるかのように考えてしまう、ということだ。

 

主観と客観、というのがポイントだ。

人は、客観的な世界に生きているのではなく、主観的な世界に生きているということだ。

 

例えば、同じ仕事をしていても、ある人はその仕事を楽しいと考え、別の人はつまらないと考える。

 

人は誰しも、客観的な世界に生きているのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいます。あなたが見ている世界は、わたしが見ている世界とは違うし、およそ誰とも共有しえない世界でしょう。(岩見一郎『嫌われる勇気』)

 

たしかに、人はそれぞれ違った前提や価値観を持って世界を見るから、その意味では、私たちは主観的な世界に生きている。

ある意味では観念論的な世界だ。

 

だから、世界にたいする見方を変えれば、不幸にも幸せにもなれる。

 

何が目的かで世界の意味づけが変わる

そして、どう見るかの基準として、アドラーは目的に注目している。

例えば、ひきこもっている人がいて、「鬱だから外に出られない」という場合、実は「働きたくない」という目的があって、その目的が鬱という感情を作り出している、ということだ。

 

いわば、目的が原因になっている。

働きたくないという目的が原因になって、鬱という状態になっている。

アドラー自身は原因論とか決定論を否定したかったようだが、目的が原因になっていることと同じだ。

 

アドラーのこの考えを使うと、トラウマも、自分が持っている目的によって生まれる感情である、という結論になる。

はじめに目的ありき、である。

 

「他者との人間関係で傷つかない」という目的を持っていると、鬱になったり自分が嫌いになったりトラウマを持ってしまう。

しかし、その目的を持たなければ、トラウマも存在しなくなる。

 

劣等感は主観的な思い込み

アドラーによれば、劣等感は客観的な事実ではなく、単なる主観的な思い込みにすぎない。

なぜなら、劣等感は他人と自分を比較して生まれる感情だから。

 

人間関係の中に生きるなかで、人は他人と自分を比較するようになり、劣等感を持つようになる。

 

アドラーによれば、人の悩みは全て人間関係についての悩みである。

例えば、結婚できなくて独身であるという悩みは、他人からバカにされたくないからかもしれない。

働きたくないのは、理不尽な上司に苦痛を覚えるからかもしれない。

 

アドラーによれば、自慢するのは劣等感の現れであるという。

自分が他人よりも優れているようにアピールして、優越感を感じ、劣等感をなくそうとするのだ。

このことを優越コンプレックスという。

 

例えば、結婚して子供がいることをアピールしたり、自分の旦那や子供についてエンエンと話をしたり。

部下に理不尽な態度をとって、権力をふりかざしたり。

友達が多いアピールをしたり。

 

それゆえ、劣等感と優越感は関係しているのだ。

人に優越感を感じなければ自分を保てないほど、人は劣等感を持っている。

 

不幸アピールで優越感にひたる

逆に、自分の不幸をアピールして優越感にひたるパターンもある。

自分が他の人より不幸であることを強調することによって、自分が特別な存在であると考え、「人より不幸だ」という点で、人より優れていようとする。

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(画像引用:地獄のミサワ、女に惚れさす名言集より)

 

例えば、自分が子どものとき親との関係がよくなかったことや、学校でいじめられていて、自分がかわいそうな人間であったこと、苦労してきたことを話す、など。

 

自分の不幸を武器に、相手を支配しようとするのだ。

他人を支配したい、という欲望の現れである。

つまり、権力が欲しいのだ。

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健全な劣等感は自分との比較で生まれる

とはいえ、劣等感自体が悪いわけではない、とアドラーは考える。

よい劣等感とは、自分との比較で生まれる劣等感である。

悪い劣等感とは、他人と自分を比較して生まれる劣等感である。

 

これはアドラーが勝手に定義しているだけだから、真に受ける必要はないが、たしかに他人と自分を比較しないようになれば、楽しく生きられそうだ。

 

承認欲求を捨て、他人の期待にこたえない

アドラーは、「他人から承認されたい」という欲求を持たないことが大切だと考えた。

人は、他人から認められたい、称賛されたい、という承認欲求がある。

つまり人間関係だ。

 

それは、他人のために生きることを意味する。

他人の欲望のために生きることを意味する。

他人のために生きてはならない、とアドラーは言う。

誰かの期待にこたえるために生きる必要はない。

 

例えば、親の期待にこたえる必要はない。

結婚すればまわりから認められるから結婚したい、と考えるのは、他人の欲望のために生きることである。

 

人の期待にこたえようとすればするほど、人は不自由になる。

アドラーは、自由とは他人から嫌われたり認められないことを恐れずに、自分の価値観にしたがって生きることだ、と定義する。

 

別に、他人から嫌われろ、というわけではない。

そうではなく、人から嫌われないことに執着せず、もっと自分のやりたいことをやる、ということだ。

 

そういう生き方をするには、勇気が必要である。

 

他人の欲望ではなく自分の欲望を見つける

「人から認められたい」という目的によって、人は世界にたいする見方が変わるわけだが、そもそも目的とは何か?

それは欲望とも言えるだろうと私は思う。

何を欲するかによって、世界に対する意味づけや感情も変わるということだ。

これはライプニッツのモナドという発想だ。

その意味では、アドラー心理学とライプニッツのモナド論は似ているのだ。

 

「人から認められたい」という、他人ベースの欲望ではなく、「私はこれを欲する」という自分ベースの欲望を持つこと。

 

それが自由だと考えるのがアドラーだ。

 

「これが私の欲望だ」「これが私の目的だ」

自分の欲望や目的を発見すること。

それが、「私」を発見することだとニーチェは言っている。

 

アドラーの考えは、ニーチェの超人思想ともつながる。

 

他人の目的や欲望のために生きるのではなく、「自分の」目的や欲望を発見して生きてみたらどうか、というのがアドラーの価値観だろう。

そしてそれを選ぶには、勇気が必要だ。