田中たかあきブログ

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田島正樹の哲学の魅力

田島正樹 哲学

田島正樹さんの哲学の中で、最も面白いと私が思うのは、次の2つだ。

1つは、物事の意味は、どの時間で見るかによって変わること。

2つめに、観点によって複数の真理があるということ。

 

1.田島正樹の時間論的意味論

田島さんの哲学で最も面白いのは、時間論的意味論である。

物事の意味は、短期的な時間軸で見るときと、長期的な時間スパンで見るときとで、意味が変わって見えることが多い。

 

その例として田島さんは、イエスのメッセージの意味を後から理解した弟子ペテロのは話や、オイディプスの例を出している。

 

どのスパンで捉えるのかによって、物事の意味理解も変わる。

その原因は、ようわからないが、物事の前提や経験や欲望や知識などが変化するからだろう。

 

物事を大局的に見たときと、近くで見た時では、景色も違うものだ。

孫正義さんも「近くを見すぎたら船酔いする」と言っている。

長いスパンで見ると、また違った展望が見えるのだ。

 

田島さんは、意味論を、時間論の視点で捉えているのが、最も面白いところだと私は思う。

 

 2.観点によって見え方が変わる

ある事柄についての判断は、何を基準に考えるかによって結論が変わる。

つまり、どの文脈で見るかによって変わる。

 

なぜなら、前提が変わるから。

田島先生、古代ギリシャのアレーテイアの話をよくして、1つの真理が別の真理を隠蔽することについて繰り返し言ってる。

 

例えば、英単語だって、文脈によって単語の意味が変わる。

使う場面や表情によっても、言葉の意味は変化する。

 

つまり、文脈や前提ごとに、判断を変えなくてはいけない。

田島さんは、ギリシャ悲劇の話でこれを説明することが多い。

なぜなら彼は古代ギリシャファンだから。

 

嘘ではなく、真理こそが私たちをたぶらかす、というのは面白い。

始めてこの考え方を知ったのは、学生のころ、田島先生のゼミで丸山真男の『福沢諭吉の哲学』を読んだとき。

 

1つの文脈しか見ないで、その文脈だけですべてを判断しようとすることを、「惑溺」と福沢諭吉さんは名付けている。

複数の文脈を想定して、物事を見ると、違った見方が生まれている。

 

例えば、物事の正しさや善悪の判断を考えるときは、正しさの基準が何かによって判断が変わる。

正しさの基準=前提は何なのか、それがズレてしまうと、議論は混乱する。

 

複数の文脈で考えることの大切さを痛感したとのは、正しさの判断をするときと、トレードをするときだ。

例えば株やFX取引をするときは、この考え方はかなり使える。

政治的な判断や善悪の判断では、基準や見方で判断が変わるから、複眼思考は必須。

 

間違っていることもあるから妄信しない

このように、田島先生の話はどれも面白い。

ただ、間違ってることも多いってことね。だからやっぱ自分で考えないとダメだ。

 

反実在論の話とか右翼左翼の話とか言語哲学の話とか精神分析の話とか、広範囲にわたって面白い話が多い。

言語哲学の話だと、フレーゲ哲学に偏りすぎで、心のイメージが言語の意味にとって大事であることを否定してるのはちょっとアレだが。

 

あと反実在論に以上にこだわるあまり、他の話と無理やりつなげようとするからおかしなことになる。

ちなみに、安倍さんへの悪口とか政治的な考え方については、うわぁと思う。安倍さんを目の敵にしすぎだ。私自身が安倍さん大好きなのもあるが笑

 

 そのほかに参考になるのが、文学とか芸術の批評だ。

さすが教養人なので、深い洞察をされていて勉強になります。

それから、コミュニケーションの理解には時間的なズレがある、という話はかなり面白い。『読む哲学辞典』の最初のほうに書いてある。

 

でも結局、田島先生の哲学の中で私にとって一番魅力的なのは、時間論的意味論の話と、観点と真理の話だ。

私があの人から学んだのは、全てここに回帰する。