田中たかあきブログ

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「愛している」と「愛したい」の違い

自分が誰かを愛しているというのは、すでに完了形であることに特徴がある。

「愛そう」と意識するまでもなく、もうすでに愛してしまっている。

 

他方、誰かを「愛したい」と考えるときは、そう意識しなければ愛せないほど、相手にたいする愛の感情が欠けている。

相手に対する愛が欠けているからこそ、相手を愛したいという欲望が生まれる。

なぜなら、欲望とは存在しないものに対してしか持つことができないから。

欠けているものだからこそ、人は「欲しい」「~したい」という欲求を持つ。

 

自分が相手を愛していないからこそ、なんとかして相手を「愛したい」と意識する。

無理にそう思えるように努力する。

 

しかし、「愛している」というのは、特に欲望や意志を必要としない。

意識しなくても、気がついたらもうすでに愛してしまっている。

つまり愛しているとは、1つの状態であり、能動的な行為ではない。

 

それゆえ、愛は常に時間的なズレがある。

そして、それは突然やってくる。

 

例えば、1人の少年がある少女にたいして、いつもと違う感情を持ったとしよう。

彼は、いつもと違う不思議な感情に対して違和感を感じる。

「この気持ちは何だろう?」

彼はモヤモヤするが、そのモヤモヤの意味はよくわからない。

なんだか胸がドキドキするし、その少女が近くにいると顔が赤くなる。

一体これは何だろう?

 

しかし、あるとき彼は突然気づく。

「そうか、自分は彼女を愛しているんだ」

 

決して、今から愛そう愛そうと準備しているわけではない。

気づいたらもうすでに愛しちゃってるのである。

 

つまり、一種の飛躍がある。

その一線を飛び越えることで、世界は一気に変化する。

 

逆に、愛している状態から愛していない状態に変化するときも、完了形である。

いつのまにか気づいたら、もうすでに相手を愛していないことを知る。

そうなってしまえば、もうどうしょうもない。

「なのとかもう一度相手を愛そう、愛したい」と思っても、そう考えること自体が、絶望的に愛が欠けていることを証明してしまう。