田中たかあきブログ

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美人を見ることで、人は永遠の美のイデアを見出す

美人を見れば、美そのものを見れる

現実の美人やかわいい人を見ることによって、人は美そのものを見出す。

その美人の女性の美しさは永遠ではないし、年をとっていくにつれ美しさは失われてしまうが、今現在この瞬間は美しいので、その瞬間の彼女には、永遠の美そのものが立ち現れている。

 

人が美人やかわいい人を見てうっとりするのは、この美そのものにたいする畏敬の念であり憧れなのだ。

つまり、プラトンが言う美のイデアを鑑賞してウットリしているのだ。

 

人は時間の中で生きる4次元的な存在だから、肉体が年を取って醜くなってしまう。

しかし、若いときは、その一瞬のはかない美しさの中に、永遠の美の形が立ち現れている。

さらに性格もよければ、見た目の美しさと性格の美しさのシンクロによって、より完全な美が現れている。

 

一瞬の美を永遠に残す

一瞬しか現れない美を永遠化することもできる。

例えば、漫画やアニメのかわいいキャラクターは、人物を2次元にすることによって、美を永遠化している。

漫画やアニメのキャラクターは年をとらないので、美を永遠に残すことが可能である。

 

特に、性格や行為の美しい美人を描くことがいくらでもできるから、永遠の美のイデアを鑑賞しやすいのである。

 

また、映画とかDVDの映像も、同じく美を永遠化している。

映像に映る美人は、時間とともに劣化してしまうが、映像に残すことによって、その一瞬きらっと現れる美しい瞬間をとらえて、永遠に残し、いつでも何度でも見返すことができる。

 

写真や絵も同じだ。美人の写真を写せば、その人のはかない美しさを永遠化できる。

 

これと対照的なのは、舞台演劇である。

舞台演劇は、一瞬一瞬の人の活動、動きを見せるものであり、刹那的なものだから、一瞬の美を見せてくれるが、その時間は保存されない。

 

行為や景色、音楽にも美のイデアが立ち現れる

 美は、もちろん人の見た目だけではなく、自然の景色とか音とか、行為などの中にもある。

だから、例えば誰かに親切にする行為には、その瞬間ある種の美しさが立ち現れている。

音楽を聴いてるときも、その瞬間、人は美そのものを感じ取っている。

自然の美しい風景を見るとき、美そのものが立ち現れている。

 

個別具体的な美しさを見ることで、永遠の美そのもの、美のイデアを垣間見ることができるのである。