田中たかあきブログ

いつも読んでいただきありがとうございます

理性の本質は秩序を発見すること

理性とは何か

理性は、法則や規則や秩序を発見する能力だ。

例えば、ニュートンは、この世界に万有引力の法則があることを発見した。

世界の中にある物理法則を見出したのだ。

 

春夏秋冬という季節の移り変わりも、一定のサイクルという法則性である。

色だって秩序だ。赤とか青という法則を知っていて、リンゴを見て「赤」という法則を適用して、「このリンゴは赤い」と言うことができる。

 

論理学は、論理という規範をつかって、物事を捉えていこうとする手法だ。

矛盾していないかとか、前提と整合性があるかなどのルールがある。

 

演繹法と帰納法、というのは、まさに典型的だ。

演繹とは、法則を、具体的な事柄に適用すること。

帰納とは、具体的な事柄から、ある一定の秩序や法則や規範を発見すること。

 

数学や言語も、規範によって構成されている。

 

人と仲良くなったり嫌われる行為にも、一定の共通点があるので、「こういうことをしたら嫌われる、だからしないようにしよう」とか、「こうすれば人に好かれる」という一定の法則性を人は見出す。

 

「結婚すべき」とか「人に親切にすべき」とか「女は化粧すべき」というのも、規範だ。

 

法律も、もちろん社会のルールだ。社会の一員であれば守らなければならない規範だ。

憲法も、国家権力を縛るルールだ。

 

プラトンは、具体的なものからイデア(本質)を発見することを目指したが、イデアも、秩序の1つだ。

具体的なものを、抽象化して、ある一定の本質、法則、秩序を見ようとしているのだ。

 

だからこそ、プラトンは、魂の目でイデアを見ることができると考えた。

魂の目とは、秩序や法則性を発見することである。

 

欲望や勇気との違い

欲望は、「あれが欲しい」とか「あれをしたい!」という気持ちで、人が行動するために絶対に必要なエネルギーだ。

このエネルギーをもとに、その欲望=目的を達成するためにどうすればいいか考えるが、理性の力。

「この欲望を達成するためにはこの法則を使えばいいから、この手段を使おう」と考えるのが、理性の仕事。

 

勇気は、実際に「えいや」と一歩前に出て行動するのを促す力だ。欲望と理性とも違う。気概といったほうがいいか。

ビビるのではなく、「もうやっちゃえ」と実行する力だ。

これをキルケゴールは「飛躍」と表現した。

 

欲望、理性、勇気、この3つは、人の行動に必要不可欠だ。

どれが欠けても行動できない。

 

全ての法則が永遠に使えるわけではない

そして、法則や秩序やルールは、永遠不変ではなく、変化しうる。

プラトンは、永遠のイデアを見ようとしたが、すべての法則や秩序が永遠不変なわけではない。

 

例えば、流行の人や服は常に時代によって変わる。

一定期間、ある法則が続くのだが、しばらくしたら新しい法則が支配する。

プラトンが言う、善のイデアだって、具体的状況や人や時代によって、善のイデアは変化しうる。

 

法則や秩序とは、ずっと通用するとは限らない。現実の状況によって、常に変化する可能性があり、そのつど新しい法則が生まれる可能性がある。

 

ヘラクレイトスが言ったように、世界に秩序はあるのだが、その秩序や法則は、時間とともに変化するのだ。

 

ある法則が生まれたら、時間がたつとその法則が崩れる。

そして、また別の法則が生まれるのだ。

 

具体的状況にたいして対応が必要

理性は秩序や法則や規範を発見する能力だ。

しかし、その秩序や規範や法則が、全ての場面でずっと通用するとは限らない。

 

1つの法則を、全てに当てはめようとする人のことを、バカという。

前提や具体的な状況や時期によって、その法則が通用するかは変わるのだ。

 

福沢諭吉は『文明論之概略』の中で、法則を過信することを「惑溺」と呼んだ。

具体的状況や文脈を無視して、1つの法則を盲目的に当てはめようとすると、現実と一致せず、間違った認識をしてしまう。

 

だから、具体的な状況、現実、文脈や前提に応じて、その法則が通用するかどうか吟味する必要がある。

また、新しく法則を生み出す必要だってある。

 

1つの法則が別の法則を隠蔽する

1つの法則を全てにあてはめようとすることで、別の法則が見えなくなってしまう。

真理が真理を隠蔽するのだ。

 

理性は法則や秩序を発見して、それを使って世界を見ようとするが、1つの法則だけしか使わないことによって、別の法則が見えなくなってしまう危険がある。

1つの真理が、別の真理を見えなくしてしまう。

 

そのときどきに応じて、法則を正しく適用できることが、正しい見方であり、真理が隠れなく現れている状況である。古代ギリシア人はこのことをアレーテイアと言った。

 

理性は、私たちに世界を正しく見させてくれる力であると同時に、私たちをたぶらかす力でもある。

秩序や法則は存在する。しかし、法則は変化する。

ダーウィンが言った通り、変化できるものが強いのだ。

法則を見出すことと、法則を疑うことの2つが重要である。

 

1つの法則を疑い、新しい法則や秩序を発見するのが、弁証法(ディアレクティケー)である。