田中たかあきブログ

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見た目が美人であることが恋愛感情の大前提、正直言うと

恋愛は見た目が前提にないと生まれない

あくまで私の価値観だが、恋愛において、大事なのは1番に見た目、容姿の美しさである。

つまり顔や体の美しさだ。

ここでの恋愛とは、付き合うだけじゃなく、その人を好きになること、憧れること、恋い焦がれることも含む。

 

私にとって、「誰かを好きになる(恋愛的な意味で)」とは、見た目が美人であることが大前提なのだ。

外見の美しさという土台があって、はじめて「好き」という感情が生まれる。

 

いくら性格がよくても、全くかわいくない女性には、いい人だなとか、人間として好きだなという感情でストップする。

 

外見の美しさは、パワーである。力である。

私はこの美の力に畏敬の念を持つのだ。

 

私にとっては、もし、見た目の美を否定し、性格とかだけで恋をしようとすると、それは美の力を否定したいというルサンチマン感情なのだ。

 

見た目の美しさという圧倒的なパワーを否定することは、弱さの現れであり、強者を否定したいという嫉妬でありルサンチマンなのだ。

 

私の経験上、この法則は崩れない。

「見た目は関係ない、心の美しさだけで恋愛したい」とも努力したが、それは自分の欲望を誤魔化しているだけだというのが正直なところだ。

 

見た目の美しさという土台の上に、それ以外の魅力が加わると、さらに好きになるのだが、外見を全く抜きにした恋愛感情は私には生まれない。

 

しかも、より美人な女性がいると、そっちの女性のほうが魅力的だと思えてくるのだ。

見た目の美のパワーが恐ろしい。

 

実際、もし外見が関係ないなら、老人だろうが関係なく恋に落ちるはずだが、そんなことはない。

やはり、私にとって、美人であることは恋愛感情の必要条件なのだ。

 

なぜなのかはわからない。

本能的なものだろうか。

 

私は、その女性「自身」に恋をするのではない。

まず外見の美に恋をし、そのあと、他の「性質」に恋をするのだ。

 

したがって、見た目の美しさやその他の魅力的な性質を持つ女性であれば、誰だっていいのだ。

 

ぶっちゃけると、一生1人の女性を愛し続けるということに全く魅力を感じないし、苦痛でしかないと思ってしまう。

というか、一生1人の女性に恋し続けるなんて不可能なのだ。

なぜなら見た目がどうしても劣化するから、他の若い女性のほうが美しさで勝つ。

 

家族としては愛せるけど、恋し続けることは不可能だ。

 

だから、私の場合どうしても「自分はこの女性しか愛していない」というは自己欺瞞になってしまう。

できるだけ若くて美しい女性のほうが魅力的に決まっているので、自分を何とか誤魔化して信じ込むしかないのだが、別にそんなウソをついて生きようとも思わない。

 

私にとって、1人の女性だけを愛そうとすることは、高貴な嘘というか、真実ではないもの、演技だ。

シェイクスピアが、「人はみな役者だ」みたいなことを言っていたと思うが、すごくsの通りだなと思う。

 

私にとって、心身ともに浮気や不倫を絶対にしないで「永遠の愛」を貫こうとするのは、我慢と忍耐の結晶であり、演技であり、高貴な嘘であり、苦痛なのだ。

もちろん社会を維持するためにはそれは必要だし大切なんだが、個人的には苦行である。

 

だから、私は結婚しようとは思わないのだ。

私はその女性自身の人格というか個性というか、「彼女自身」という1人の人間に興味がないのだ。

 

私が恋するのは、彼女が持っている「見た目の美」とか、その他の魅力的な「性質」である。

決して「彼女それ自体」という1人の人間を好きになるわけではない。

 

だから、同じ性質を持つ女性であれば入れ替え可能だし、誰でもいいのだ。

自分でも最低なクズ野郎だと思うのだが、やはり本音はそうなのだ。

私はその女性に「人格」に興味がない。「性質」に興味がある。

もちろん決して現実では口にしないし、紳士的に1人の女性だけを愛するように振る舞うが、それは壮大なパフォーマンスであり茶番である。