田中たかあきブログ

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格差社会は悪ではない理由

格差社会は悪ではない

経済格差や格差社会は悪だという風潮があるが、私はそうではないと思う。

なぜなら、格差のない平等な社会は、人々の競争意欲を無くして、やる気を失わせるからだ。

また、格差があるということは、人に価値を提供した分だけ、多くのお金をもらえるということだからだ。

 

例えば、共産主義は、全ての人間には同じ権利があると考え、格差のない平等な社会を目指した。働いた対価は誰もが同じにした。

すると、有能でお金を稼ぐ意欲のある人たちは、自分たちがいくらがんばっても報酬が変わらないことに不満を持つ。

「いくらがんばって働いてもお金はたくさん貰えない、だったらがんばって働いても意味ねーよ」となった。

 

その結果、働かない人と同じくらい働いとけばいいや、と考え、がんばって働く人がいなくなる。

自分だけ必死に働いたって損だ。できるだけ怠けよう、という気持ちになる。

 

なので、サービスの質は悪くなり、経済も停滞し、人々の労働意欲は下がる。

そして共産主義は敗北した。共産主義は上手くいかないことが証明されたのだ。

 

なのに最近になってまた、資本主義を悪と考える言説が増えてきている。

 

例えばトマ・ピケティの本では、富める者と貧しいものの格差が開くばかりであることがデータに基づいて説明されていて、経済格差が問題になっている。

 

だけど、この世の中に格差は必要なのである。

格差があるからこそ、人々は競争する意欲が生まれ、サービスの質をよくしようと努力する。

 

また、格差が生まれるということは、受け取る報酬に違いがあるということだ。

一生懸命働いて価値あるものを多く提供した人が、価値を提供しない人よりたくさんお金を稼ぐのは当たり前のことである。

 

努力しようと思えるのは、価値を提供した分だけお金をたくさんもらえるからだ。

不公平があるからこそ、人はがんばれる。

 

がんばらなくてももらえるお金が変わらないなら、怠けるのが人間である。

 

人に価値を与えれば、その分だけお金を稼げる。

この当たり前のことを否定して、お金をたくさん稼ぐ人を「金の亡者だ~」と悪口を言うのは単なる嫉妬であり妬みである。

 

格差があるのは当たり前なのだ。

「勝つことが全てだ。勝たなきゃゴミだ」(福本伸行『賭博黙示録カイジ』)

 

無能で人に価値を与えることができない人は、「お金持ちと同一の権利を」とか「格差のない社会を!」と叫ぶが、がんばって能力を持っている人からすると、「何も努力してない人と同じ報酬なんてバカバカしい」となる。

 

むしろ、格差社会のほうがよっぽどフェアだと思う。