田中たかあきブログ

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結婚しないといけない風潮にしたがう必要などない

結婚しないといけないという風潮

「結婚すべきだ」「結婚しなければならない」「結婚しないのはおかしい」といった風潮は、あくまで社会の規範であり、社会のルールや趣味や欲望にすぎない。

 

あなた自身の欲望やルールはそうではないかもしれない。

あなた自身が「私は結婚したい」という欲望や、「私は結婚すべきだ」という規範を持たないならば、社会の「結婚しなければならない」という命令にしたがう必要などないのだ。

 

「結婚しなければならない」、これは、人間集団が暗黙のうちに作っている1つの法律であり、1つの命令である。

あるいは、他人の欲望であり、他人の規範であり、他人の命令である。

 

なぜ他人の決めた規範や欲望や命令に、あなたが服従する義務があるのか?

 

人は、世間体を気にして、あるいは見栄のために、結婚することがある。

それは、他者の欲望を見て、他人の欲望を模倣しているにすぎない。

他人の規範や好みや命令に服従しているにすぎない。

「他者のために」とか「自分のためではなく」という感情には、必要以上に多くの魅力があり、甘美なものがある。これについては二重の意味で疑い深くなり、次のように問うべきなのだ。「それはもしかすると―誘惑なのではないか。」これらの感情は気に入るものなのだ―この感情を抱く者にも、その果実を味わう者にも、そしてただ眺めているにすぎない者にも気に入るのである」(ニーチェ『善悪の彼岸』)

 

もしあなた自身が結婚したくないならば、他人の目や世間体に負けてはならない。

他人に気に入られる必要などないのだ。

 

いいじゃないか、他人から軽蔑されても、

別に彼らがそんなに偉い人間であるわけでもないし、彼らにどう評価されようが知ったことではないのだ。

彼らに評価されないと、自分の人生が肯定されないなら話は別だが。

 

「良い評判を得ようと、―自分を犠牲にしなかった者がいるだろうか?―」(ニーチェ『善悪の彼岸』)

 

「あなたの」欲望は何なのか?

「あなた」自身の規範は何なのか?

人は、他人の欲望や規範を真似しがちで、自分の欲望や規範を忘れがちなのだ。

 

「私」の欲望を発見することは、「私」を発見することである。

「私」の規範を打ち立てることは、「私」を発見することである。

 自分だけの法を打ち立てること、それは、自分を発見することなのだ。

 

「しかし真の哲学者たるものは、命令する者であり、法を与える者である。真の哲学者は「こうあるべきだ!」と語る。」(ニーチェ『善悪の彼岸』)

 

他人の欲望や規範や命令にしたがって、自分の欲望や規範を忘れること、

それは、「あなた」自身を冒とくする行為ではないだろうか。

「私」を失うことではないだろうか。

「だが、これが―私の趣味である。―よい趣味でも悪い趣味でもなく、私の趣味である。私は、私の趣味をもはや恥とせず、ましてや秘めることはない。私に「道」をたずねた者に私はこう答えた。「これが―私の道だ、―きみたちの道はどこか?」と。万人向きの道など、存在しないからだ。」(ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』)

 

 

「私はこうあることを欲する」、「私はこうあるべきだ」

そのような判断は、自分自身を尊重することであり、「私」を発見することではないかだろうか。

 

たしかに、国家のためには少子化はよくないことだろう。

経済が栄えるためには、国民がどんどん結婚して子供を作ったほうが、集団全体の利益が増えるだろう。

 

しかし、それはあくまで集団の利益であり、あなた個人の利益とは違う。

集団や全体のために自分自身を犠牲にしたいなら、それでいい。

しかし、自己犠牲などまっぴらだと思うなら、集団の規範や命令に服従しなくてもいいのだ。

 

この、全体と個人の対立は、非常に根深い問題である。

 「未来の哲学者はおそらく「私の判断は私の判断だ。他人には、これをたやすく自分のものにする権利などない」と語るだろう」(ニーチェ『善悪の彼岸』)

 

私たちは、もっと「自分自身」を大切にしてもいいのではないだろうか。

 

もし、自分が結婚しないことで、家族が悲しむとか、親せきとか周りの人から悪く言われるとしても、そんなの知ったことではないのだ。

それは、彼らの価値観にすぎない。

あなたの価値基準ではなく、あなたの趣味でもないのだ。

 

「わたしたちが自分の悪をみずからの最善のものと呼ぶ勇気をもてたとき、それが人生のもっとも偉大な時期である。」(ニーチェ『善悪の彼岸』)

 

他人の道徳に服従することは、一見美しいように見えるが、それは自分自身を粗末にすることかもしれないし、あなた自身の存在を否定することかもしれないのだ。

 

他人の欲望や規範に服従せず、自分の欲望を発見する人は、自分を発見する人である。

そして、自分の趣味や価値観は、他人から理解されないことも多いのだ。