田中たかあきブログ

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キルケゴールの哲学における反復と絶望の概念

キルケゴール哲学を解説

人は2つのものの間を反復する

キルケゴールの哲学の本質は、反復と絶望です。

反復とは、2つのものの間を行ったりきたりする運動のことです。

あちらを立てればこちらが立たず、という相反する2つのモノの間をウロウロと行ったり来たりする運動のことを、キルケゴールは「反復」と言いました。

つまり、2つのものの間に矛盾があり、矛盾する2つのものの間を右往左往する運動が、反復です。

 

そして、2つのものの間を永遠に行ったり来たりしないといけない悲しい状態のことを、「絶望」と彼は呼んでいます。

永遠に両立しない2つのものの間にある溝、矛盾、対立に対する絶望感のことを、「死に至る病」とキルケゴールは呼びます。

 

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家族と一人暮らしの反復

例えば、子ども時代には実家で両親が指図してきたり叱られたり文句を言われたりして、家族に対する面倒くささや、いらだちを感じていたとします。

親に指図されずに一人で自由に生きたいと願います。

 

しかし、実際に1人暮らしをしてみると、家に自分一人しかいないことに孤独と寂しさを感じて悲しくなります。

「ああ、ひとり暮らしは寂しいなあ」と彼は思います。

 

彼は、孤独の苦しみに耐えられなくなり、人のぬくもりや愛を欲しいと思います。

 

そしてさらに時間が立つごとに、ひとり暮らしが寂しすぎて、「家族が欲しい!」と思うようになります。

そして彼は結婚します。

「これで一人暮らしの孤独から解放されるぞ!」

 

しかし、結婚すると妻は家のことで口うるさく文句を言ってきます。

「家でゴロゴロしてるくらいなら、掃除でもしてよ!」と奥さんから怒られたり、「休日にダラダラしてるくらいなら子どもと遊んでよ!」などと文句を言われ、家にいると落ち着きません。

しだいにうっとおしくなってきて「ああ、独身時代はよかったなあ」と思い始めます。

「なんで自分は結婚なんかしたんだろう。一人暮らしのほうが自由だったな」

彼は後悔します。

 

実家で家族と暮らしてるときは、親や兄弟にイラついたり面倒だと思っています。

一人で自由に暮らせたらどんなにいいかと。

しかし、ひとり暮らしをすると寂しくて家族が欲しくなります。

でも結婚すると一人暮らしをうらやましくなります。

 

家族暮らし⇔一人暮らし

この2つのものの間を行ったり来たりします。

この運動が反復です。

そしてこの運動をずっと続けなければならないという絶望があります。

 

愛と憎しみの反復

一人が寂しくて孤独を避けるために、愛を欲することと、誰かと一緒にいて憎しみを感じることも、相反して両立しがたいものです。

 

家族がうざいから憎しみを感じ、孤独を欲する。

でも一人暮らしをすると寂しくなって、家族や愛を欲する。

孤独や自由を欲していたかと思えば、家族や愛が欲しくなる。

でも家族ができると愛ではなく憎しみを感じるようになる。

 

愛⇔憎しみ

という反復を繰り返します。

あちらを立てればこちらが立たず、あれかこれか。

ずっとこれの繰り返し。

まさに絶望したくなります。

 

それゆえ、キルケゴールは次のように言っています。

結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう」※1

どっちだよ、という感じですが、これも反復の概念です。

 結婚しても人間関係が面倒で後悔するし、独身なら孤独で後悔する。

孤独のときは愛を欲するが、愛する人ができると憎み始める。

 

愛と憎しみの2つの感情を行ったり来たりする人物描写は、ドストエフスキーでもよく出てきます。

例えば、「罪と罰』でソー二ャという18歳の女性の母親は、夫を激しく憎んでいますが、彼が死んだときに激しく悲しみます。

愛と憎しみという対立や、2つはむしろ一体のものであるを、ドストエフスキーは作品で表現しています。

 

EDによる心の肉体の反復、そして絶望

キルケゴールにとって、反復と絶望の一番の具体例は、心と体の対立です。

心身二元論の対立です。

 

というのも、キルケゴールはED(勃起障害)だった可能性があり、婚約するくらい愛する女性がいたのです。

彼は、18歳のある女性と婚約するのですが、土壇場で「やはり結婚できない」と断り、婚約破棄しました。

その理由は、どうも彼がED(勃起障害)だったからじゃないかという説があります。

これは田島正樹さんが言っていることで、婚約してから性的不能だと気づいたのではないか、ということです。

 

キルケゴールがEDだったと仮定しましょう。

彼は、心では彼女を愛しているのに、体が反応しなかった可能性があるのです。

心で彼女を愛することと、肉体で彼女を愛することの対立。

心と肉体のの間を、行ったり来たりする運動、それが反復なのです。

 

彼女を愛しているのに、自分の体は反応しない。

あちらを立てればこちらが立たず。

心と体の間を行ったり来たりして、永遠に2つは両立しない。

これこそが、絶望です。

 

キルケゴールが反復と絶望という概念について哲学をした一番の理由は、彼がEDだったからじゃないかと私は思います。

彼の哲学の根源には、心では彼女を愛するのに体で愛せないという矛盾があり、その葛藤が反復であり絶望なのです。

 

2つの間にある矛盾を運動すること、救いがないこと、それが反復であり絶望なのです。

 

人は、解決できない悩みや問題を抱えて生きています。

矛盾する2つのものの間で、あちらを立てればこちらが立たず、グルグルと悩み続けます。

その葛藤、運動、反復、絶望は、人が避けることのできないものだとキルケゴールは考えています。

それを避ける唯一の方法は、神への信仰であると彼は言っています。

どうなんでしょうかね。

 

引用文献:※1:キルケゴール『単独者と憂鬱』

参考文献:キルケゴール『反復』

     キルケゴール『死に至る病』