田中たかあきブログ

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年が離れた恋愛はダメというルールの中で、人は恋愛しなければならない

年が近い人の中から恋愛相手を見つけるという規範

恋愛は、自分となるべく年が近い恋人が望ましい、自然である、という暗黙のルールがります。

例えば、大人が未成年と恋愛をすると、イタイ人だと思われます。

成人男性が18歳の女性と付き合うと、「ロリコン!」と後ろ指を指されます。

 

高校生の男女が恋をするのは、微笑ましいこと、と捉えられます。

「青春だね」とニコニコ顔で言われます。

 

でも、成人の男が17歳の女子高生に恋をしたら、「ロリコン!キモ!」と罵倒されます。

たとえ、たまたま好きになった人が年が離れていただけだったとしても、それは異常なことなのです。

 

年の差で結婚した夫婦は、「年の差婚」と言われ、通常の結婚ではない珍しいもの、と捉えられます。

 

このように、「恋愛は年が近い者どうしがするものである」という命題が、暗黙のルールが存在しています。

「年の近い者と恋愛するものだ、年が離れた者同士が恋愛するのは正常な恋愛ではない」

この暗黙の規範のため、成人男性が18歳くらいの女子高生に恋心を持つと、「ロリコン!」という気持ち悪がられ、「異常なキモイ人」というレッテルを貼られます。

 

それゆえ、恋愛には型があり、「こうふるまうべき」という理想モデルがあらかじめ決められています。

それ以外の状態は、恋愛として社会から認められない、第三者から認められない、というルールがあります。

 

だから、永遠の愛とか純愛とか言いますが、実際は、恋愛とは年が近いものどうしで愛し合わないといけないという縛りがあるのです。

純粋な恋愛であっても、年が離れた恋愛は、アブノーマルな状態であり、不自然なものだと見なされるのです。

 

したがって、恋愛というゲームは、自分と年が近い人の中から好きな人を見つけ選ばないといけません。

たまたま、同年代に魅力的な人がいなくて、年が離れた人が偶然、非常に魅力的な人だった場合でも、年が離れていれば、「ロリコン!」と批難され、異常なものだと見なされます。

 

社会など第三者によって、あらかじめ決められた形式のもと、その限定の中で、好きな人をなんとなく選ばなければならない。

社会のルールの中でうまく演技する役者でなければなりません。

 

だから、恋愛とは、社会の人々の気に入るようにふるまい演技する、役者なのです。

大衆の気に入るような恋愛をすれば、称賛されるのです。

 

恋愛という概念自体が、他人によって作られたものであり、他人の欲望なのです。

他人の欲望によって作られた「恋愛」という概念にしたがって、人は恋愛をするのです。

それは、他人のルールのもとで、ふるまう優秀な演技者です。

シェイクスピアがいったように、私たちは良き役者になる必要があります。

 

純粋な恋愛をしているつもりでも、ある程度社会的に認められるように技巧的に生きる必要があります。

 

とはいえ、1900年くらいまでだと、37歳の男が18歳の女性と結婚することはよくありました。

例えば古代ギリシャのアリストテレスとか、ロシアのトルストイ、ドストエフスキーなんかは、37歳くらいで18歳の女性と結婚してますね。

 

少なくとも、現代の恋愛は、あらかじめ年齢の近いものどうしがするものだ、という規範に違反しないように、年齢が近い人しか好きにならないかのように、演技する必要があります。

愛にはタイムリミットがあるのです。