田中たかあきブログ

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好きなものを見つけることは自分の欲望のイデアを発見すること

好きな人や好きなものを見つけることは、自分の欲望を発見することであり、欲望のイデアを見ることだ。

そしてそれは、自分自身の存在を確かめる作業なのだ。

 

例えば、ある人のことをいつも考えてしまい、その人の前だとドキドキして、好きな人ができたとき、人は、自分がその人のことを好きであると気づく。

自分が好きな対象を認識し、自分の好みや趣味がどのようなものかを確認するのだ。

つまり、自分が欲することを確認するのである。

 

具体的な欲望の対象を見ることによって、抽象的な自分の欲望のイデアを感じ取る。

自分の欲望とは何なのか?という謎を解くカギとなる。

 

人は、自分の欲望が何なのかを知りたがっているかもしれない。

自分の望むことを知ることによって、自分自身の存在とは何か、という謎を解きたいのかもしれない。

 

ヘーゲルは、人が様々な欲望を体験し、最終的に、「私の本当の欲望は何かを知りたい」という欲望に行き着くと考えた。

私の本当の欲望を知ることが哲学であり、自己知であるとヘーゲルは考えた。

ちなみに、ヘーゲルのこの考えは、ニーチェに受け継がれている。

 

人は恋愛をして人を好きになるとき、相手のよいところを見つけるわけだが、それは同時に、自分の趣味(よさ)を見つけることでもある。

相手を好きになることによって、自分の好みを確認し、自分の存在を承認することができる。

 

だから、「自分を愛せない人は他人を好きになれない」というのは逆かもしれない。

他人を好きになることによって、自分を愛せるのだ。

なぜなら、自分の欲望のイデアを垣間見ることができ、自分自身の存在を確かめることができるから。

相手のよいところを見つけることによって、自分の価値基準や趣味、自分独自の「よさ」の基準を見つけることができるから。

 

自分の欲望のイデアを見ることは、自分の存在を見ることであり、自分独自の良さを確かめる作業である。

人を好きになることは、単に相手の存在を愛するだけでなく、自分自身との関係を見つけることだ。

好きという感情は、好きな対象と自分との関係によって成り立っている。

 

あなたは、どんな人や物を好きになるだろうか?

あなたが好きになったものが、あなた自身の存在を規定し、あなた自身の独自の良さの基準を映し出す。

 

自分が好きになった人や物は、自分自身の存在を映し出す鏡である。

あなたが他者の存在を見つめるとき、あなた自身の存在も見つめているのだ。

 

あなたが、今までの自分だったら好きにならなかったものを好きになったとき、それは、新しい趣味の発見であり、新しい欲部のイデアの発見である。

それは新しい「私」を見つけることであり、新しい「よさ」を見つけることだ。

 

誰を好きになるか、「いつ」どのタイミングで好きになるかは、人それぞれだ。

だから、世界は百面鏡でできている。

欲望も存在も、善さの基準も、百面鏡でできているのだ。

 

1つの観点から自分の全てを分かった気になっていないだろうか。

それは1つの見方から見た自分の姿だ。

世界を百面鏡で受け止めれば、今まで見えなかった観点があると気づくだろう。